美しい自然と街並みに癒される旅 ドイツ・オーストリア③
ロマンチック街道 憧れのノイシュヴァンシュタイン城
ローテンブルクの翌日、この日は「ロマンチック街道」に沿って走る。
「ロマンチック街道」は、古都ヴュルツブルクからローテンブルクを通りフュッセンに至る約350㎞のルート。ドイツの観光街道の中でも最も人気の高い街道の一つである。
最初に訪れたのは、そのロマンチック街道沿いにある世界遺産「ヴィ―ス教会」。フュッセンの郊外にある「ヴィ―ス教会」は、草原の真っただ中にある田舎の教会といった風情。
ところが、教会の中に入って見てびっくりする。外観と違って内部の装飾の素晴らしさに、口をぽか~んと開けて見とれてしまうほどの美しさなのだ。
1738年、近郊のシュタインガーデンの修道院で放置された「鞭打たれるキリストの像」を、ある農家の夫人がもらい受けた。毎日祈りを捧げていたところ、ある日このキリストの像が涙を流したという。その噂が「ヴィ―スの涙の奇跡」として広まり巡礼者が集まるようになった。その像は牧草地の小さな礼拝堂に移されたが、巡礼者は増える一方であった。そこで、1746年~1754年かけて「ヴィ―ス教会」が建造された。
教会内部へ入ってみる。
「天から降ってきた宝石」と称えれれる天井画。この絵は、教会の設計者ドミニク・
ツィンマーマンの兄ヨハン・ツィンマーマンの作品。虹の上に座っているのはキリストだそうだ。
教会の内部は薄暗いイメージがあるが、この日の天候にも関わらず、この教会内部はとても静かで明るい印象だった。
それは、やはりこの淡い色彩による装飾と採光の取り入れ方によるものだろうか?
左右の脇祭壇。
パイプオルガン↓ オルガンの上に天井画の「永遠の扉」が描かれているが、写真が切れてしまっている。
正面の主祭壇↓ 中央下段に「鞭打たれるキリストの像」が置かれている。
この教会が建設されるきっかけとなった「鞭打たれるキリストの像」↓。
たぶんズームして撮ったのだろう。ピンボケになってしまった。
ヴィ―ス教会の次に向かった先は、一度はこの目で見たかった憧れの「ノイシュヴァンシュタイン城」。
「ノイシュヴァンシュタイン城」もフュッセンの郊外に位置している。フュッセンはロマンチック街道の終点であり、「アルペン街道」沿いの町でもある。
「アルペン街道」はドイツで最も古い観光街道で、オーストリアとの国境をなすアルプス山脈の麓を湖と丘陵を縫うように通る450㎞の街道である。
「ノイシュヴァンシュタイン城」の麓の村ホーエンシュヴァンガウへやって来た。
ここから「ホーエンシュヴァンガウ城」が見える。この時、この写真で分かるように雪が降っていた。
この城は「ノイシュヴァンシュタイン城」を築いたルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世が所有していた城。
ルートヴィヒ2世が子供時代を過ごした城でもあるそうだ。
この建物はホテルだそう。
ノイシュヴァンシュタイン城は馬車でも行くことが出来るが、私達はお城まで山道を徒歩で登って行った。
その道は、人々に踏まれたビチャビチャの雪とお馬さんの落とし物で、決して綺麗な道とは言えなかった。そんな山道を周囲の景色に目もくれず、もっぱら足元に神経を集中して登ったような記憶がある。もっとも雪で靄っていて周りは何も見えない状態だったが・・。
きっと季節のいい時期であれば、緑に覆われた気持ちのいい山道だろうと思う。
やっとお城の玄関口、赤レンガ造りの城門へ辿り着いた。この城門は、最初に完成した場所だそうだ。
この城門から入る。
四角い塔。
城の写真はここまでだった。城内のオーディオガイドツアーには参加したのかな??
薄暗い建物の中に入った記憶はあるが、豪華な部屋を見た記憶はない。何ということか・・・。いくら記憶力が悪くても大体少しは覚えているものだが、事もあろうに憧れの城の記憶がこれきりだとは・・・😭
傘をさしながら雪の山道を往復したことだけが、鮮明に記憶に残っている。憧れの美しい城と足場の悪い雪道のギャップが、私には相当ショックだったのかもしれない。
※あとで調べてみたら、城の最後の写真を撮った時刻は 16:02だった。ガイドブックによると、この時季の城内ツアーは 10:00~16:00 。ツアーの所要時間は30分~40分となっているので、当然ツアーには間に合わなかったということになる。
う~ん、どういうことだろう? 元々この旅行に含まれていなかったのだろうか? いろいろ疑問が残る。
この城は、「狂王」の異名をもつバイエルン王「ルートヴィヒ2世」によって19世紀に建築された。
彼は中世に対する強い憧れと心酔するワーグナーの世界を具現化しようと、この中世風の城に17年の歳月と巨額な費用をつぎ込んだ。また、彼はこの城の他にも、いくつもの城や宮殿の建設や建設計画をしており、結果膨大な借金をつくった。事態を重くみた家臣たちにより、形ばかりの精神鑑定で「統治不能」とされ軟禁されてしまう。その翌日、シュタルンベルク湖で彼は謎の死を遂げたのだった。
この城はディズニーランドのシンデレラ城、或いは、眠れる森の美女の城のモデルになったとも言われている。が、この白亜の美しい城は、ルートヴィヒ2世が亡くなったことによって未完成なのだそうだ。
建物は19世紀の建築で近代的な技術が用いられているため、間近で見ると新しいのが分かる。中世のお城のイメージを持っていると、少々がっかりするかもしれない。
そうは言っても、おとぎ話の世界から抜け出したような美しい城は、遠くからその姿を見れば誰でも憧れてしまうだろう。
その姿を一番美しく見られる「マリエン橋」からの眺め、私達のツアーも旅程には入っていたようだが、生憎の天候のため行けなかった。
それはこんな感じに見えるはず・・。
帰り際、せめて麓からでも美しい城の姿を見たいと目を凝らしていた。なかなか見えない・・・。
つくづくこの城とは縁がないんだと諦めかけていたその時、一瞬霧が途切れて、微かに城が見えた‼ わぁ~、見えた見えた! やっぱりこの城は遠目の方がいい!
もう少し霧が晴れたら、こんな風に見えるだろう。
麓の村にあった「マイバウム(五月の木)」(Maibaum)と言われるツリーだとのこと。
本来「五月祭」にあわせて町の中心や広場に立てられるそうだが、年中立てられているものなのか?
いろいろ悪条件が重なって残念な「ノイシュヴァンシュタイン城」だったけど、一瞬でも城の姿を見ることが出来たことで、けっこう満足してこの村を後にした。
この旅行でドイツ国内のバス移動中、「今走行している道路はアウトバーンです。」と説明があった。その時は真っすぐのびる高速道路を走っていた。
ナチス・ドイツが進めたという「アウトバーン」、速度無制限道路として有名だ。でも、そんなに早く走っているようには感じなかった。後で調べてみたところ、全てが無制限ではなく、制限区域も存在するそうだ。
それより私は、車窓に広がる田園風景の美しさに、うっとりしていたのかもしれない。ヨーロッパ全般に言えるが、絵に描いたような綺麗な田舎の風景に浸れることは、ヨーロッパに来て良かったと思える瞬間だ。
その日は、ミュンヘン泊。
夜、ミュンヘンの街中にある賑やかなビアレストランで夕食だった。お店に集まっている人達は大きなビールジョッキを片手に、とっても賑やかで陽気な雰囲気だったのを覚えている。食べ物も美味しかった!
ミュンヘンは大きな町だが、残念ながら宿泊しただけ。翌日は陸路で国境を越えオーストリアへ。
オーストリアは、④で紹介します。