yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

美しい自然と街並みに癒される旅 ドイツ・オーストリア②

古城街道 ハイデルベルクとローテンブルク

 

ライン川クルーズで見たように、ドイツには古城が本当に多い。マンハイムからチェコプラハまでを結ぶ全長1000kmに及ぶ街道は、美しい古城が点在する「古城街道」と呼ばれる。

 

この日は、この古城街道沿いの町ハイデルベルクへ。

 

ハイデルベルク」はライン川の支流ネッカー川沿いに広がる町、ドイツ最古の大学とハイデルベルク城で有名だ。また、ゲーテショパンなど多くの詩人や芸術家に愛された町でもある。

 

ハイデルベルクの旧市街に到着し、先ず山の斜面に聳え立つ「ハイデルベルク城」へ。城には徒歩でも行けるが、私達は麓からケーブルカーに乗って行った。

上から旧市街を見下ろすと、バロック風の美しい街並みに息をのむ。この日は生憎冷たい雨が降っていて、その上写真の写りも今一なので、なかなかその美しさが伝わらないのが本当に残念!

 

城までの途中の景色。

 

城へと続く道。

 

ハイデルベルク城」は13世紀頃からプファルツ選帝侯の居城として拡張を続け、ゴシック・ルネサンスバロックなど様々な建築様式が見られる。戦争や火事で何度も破壊と再建を繰り返してきたが、半ば廃墟となり一部再建された複雑な姿をしている。

 

「ディッカー塔」のルートヴィッヒ5世とフリードリヒ5世の像。この塔は一部が爆破され崩壊している。

 

「エリザベス門」、フリードリヒ5世が愛する妻エリザベスのために、1615年にこの門を造らせた。彼女の20歳の誕生日に、たった一夜にして建設されたと伝えられている。

 

「城門塔(時計塔)」、城の中へと続く門。

 

「ループレヒト館入口の天使の像」

 

城の中庭に面して、正面の建物「フリードリヒ館」。

フリードリヒ4世に因んで名付けられた。この中庭に向いたファサードには、選帝侯の先祖の像が飾られている。下層部の右端がフリードリヒ4世の像。

「フリードリヒ4世の像」↓

 

向かって右側には、プファルツ選帝侯オットー・ハインリヒに因んで名付けられた「オットハインリヒ館」がある。この宮殿は、ドイツで初めてのルネサンス様式の建物。

「オットハインリヒ館」↓

 

隣の建物「ガラスの広間棟」の壁に見られる「日時計」。

 

「アルタン」とも呼ばれる「選帝侯のバルコニー」へ移動。バルコニーからの眺め。(やや上流側の景色)

バルコニー側から見た「フリードリヒ館」のファサード

「騎士の足跡」、バルコニーに残された足跡。これにはいくつかの伝説がある。

ある時、城の上階から突然火事が起こり、炎に囲まれた騎士が飛び降りて跡がつい   たという説。

泥酔したフリードリヒ4世が、宮殿であるフリードリヒ館から飛び降りて跡がついたという説。

また、観光ガイドがよく使う説で、選帝侯妃の浮気相手であった騎士が、密会が見つかりそうになり選帝侯妃の寝室から飛び降りた跡という説など。

やはり最後の説が観光客に受けそう・・・。

 

この後、城の地下にある大樽棟へ。ここはワインの貯蔵庫で、巨大なワイン樽「カール・テオドール樽」を見ることが出来る。直径7m、容量22万リットルの世界最大級の大きさ。樽の上に上ることが出来る。

 

その大樽の前には、大酒豪の「ペルケオの像」が大樽を見守っている。

ペルケオさんには伝説がある。彼はインスブルックから選帝侯に連れてこられた宮廷道化師だった。選帝侯が大酒飲みのペルケオに、大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、「ペルケ ノー?」(イタリア語で「なぜ できないの?」)と答えたことから、「ペルケオ(Perkeo)」と呼ばれるようになった。

※Why not?(英語)と同じ意味かな?

子供の頃からワインをずっと飲み続けていたペルケオさんが、年老いて病気になった時、医師はワインをやめ水を飲むよう指導した。疑いながらも彼はこの助言に従ったが、その翌日に亡くなった。

 

 

地下には「ドイツ薬事博物館」もあり、中世から近代までの薬の歴史を展示しているそうだ。

 

 

お城の見学が終わって、麓の旧市街へ降りて来た。

「マルクト広場」に建つ「ハイデルベルク聖霊教会」↓。 ゴシック様式の建築で、選帝侯の墓が納められているハイデルベルクで最も重要な教会。

 

ここからネッカー川に掛かる「カール・テオドール橋」へ向かう。

 

その橋の袂にある「猿の像」。金運を呼ぶといわれ猿が持つ金色の鏡に触れると、お金持ちになれると言われている。

 

「カール・テオドール橋」は選帝侯カール・テオドールによって建造された石造りの橋。別名「アルテ・ブリュッケ(古い橋)」とも言われる。

石造りのアーチを9つ連続させて造られている。立派な橋門は、かつて牢獄としても使われたそうだ。

 

橋の袂あたりから見上げた「ハイデルベルク城」。ズームして撮ったかも・・。

 

橋の上から見た「ハイデルベルク城」。

 

橋の上から対岸の山肌に九十九折りの「シュランゲン小道」が見える。その小道を上ると「哲学者の道」がある。

因みに、橋を渡った先の山の中腹に川に平行するように、横にうっすらと道の筋が見えるのが「哲学者の道」↓だそうだ。

哲学者の道」は、ゲーテを始め多くの詩人や哲学者が実際に歩いて思索に耽った場所。そこからの対岸の眺めは、ため息が出る美しさだそうだ。

 

橋の上からのネッカー川の眺め。

 

橋の上にある「カール・テオドールの像」。

 

橋の近くのホテル。猿の像も見える。

 

 

「マルクト広場」に戻って旧市街の散策。

マルクトとは英語のマーケットの意味で、この広場でも毎週水曜日と土曜日の午前中に朝市が開かれる。クリスマスシーズンにはクリスマスマーケットに変わるそうだ。

 

聖霊教会の向かい側に建つ「市庁舎」。右奥にハイデルベルク城が見える。

 

「騎士の家」↓ 聖霊教会の向かい側にあるルネサンス様式の建物で、ハイデルベルクで最も古い建物だそうだ。ホテル兼レストランに利用されている。

 

旧市街のメインストリート「ハウプト通り」

 

大学広場周辺へやって来た。「イエズス教会」↓

こんな建物も・・。

 

ヨーロッパで時々見るこんな屋根。私には人の顔に見えてしまう。

 

ハイデルベルク大学」旧館。1階は大学博物館になっているそうだ。(私は横から撮ってしまったようだ)

正面はこんな感じ。

 

大学図書館本館」

 

ハイデルベルク大学は通称で、正式には「ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク」という。1386年創設でドイツ最古の歴史を誇る大学。今でも最高レベルの研究が行われ、多くのノーベル賞受賞者を輩出しているそうだ。

 

1931年に開校した「新大学」↓

 

大学広場周辺にあるお店「ケーテ・ヴォルファルト」。一年中クリスマスのオーナメントが買えるクリスマス専門店。

 

観光客の人気スポットでもある「学生牢」。かつて大学内は治外法権だったため、学生が町で騒ぎを起こしても警察は介入できなかった。そこで大学当局がこの牢を造った。牢内の壁には投獄中の学生が書いた落書きでいっぱい。中を見学することも出来る。

 

「カールス広場」へ。この広場から見上げるハイデルベルク城。

ここからバスに乗ったのかな? ハイデルベルクを後にして「ローテンブルク」へ向かう。

 

 

ローテンブルクで宿泊した翌日、城壁で囲まれた旧市街の観光。

 

「ローテンブルク」は古城街道とロマンチック街道の交差点に位置する町。正式には「ローテンブルク・オブ・デア・タウバー」といい、中世の面影をほぼ完璧に残している町として知られている。“ロマンチック街道の宝石”とも言われ、おとぎの世界のような街並みが見られる。

 

私達は「ガルゲン門」から旧市街へ入り、先ず城壁の上を散策。

 

城壁の壁の上部に白いプレートのような部分が点々とある。ここに個人や団体の名前が刻まれている。第二次世界大戦で被害を受けたローテンブルクの復興に寄付した個人や団体の名前だそうだ。

 

その後どの辺りで城壁から降りたか忘れたが、旧市街の散策が続く。

これは何の実? お花や植物が好きなので珍しい植物に出会うと、ついつい写真に撮ってしまう。

 

見えてきたのは、旧市街のほぼ中心部にある「ホワイトタワー」。

この時、「ガルゲン門」からの通りに立っていたのだろう。遠くに「ガルゲン門」を見る。この門は「絞首塔」という恐ろしい名前。

「ホワイトタワー」↓

このホワイトタワーの近くで撮った記念碑↓。

グーグル翻訳アプリで訳してみたら、『1933年から1938年の間にローテンブルクから追放された私達の仲間のユダヤ人市民を偲んで』という内容だった。ドイツの歴史を垣間見たような気がする。

 

次に来たところは「聖ヤコプ教会」。教会内では、ドイツの有名な彫刻家リーメンシュナイダーの有名な「聖血の祭壇」が見られる。

 

「プレーツェル」の看板のお店。プレーツェルは英語のプレッツェル🥨のことで、ドイツ発祥の焼き菓子パンのこと。パン屋さんの看板にもなるそうだが、このお店はカフェにもなっているみたい。

私は、初めてプレッツェル🥨を食べたのがアメリカだったので、アメリカのお菓子だとずっと思っていた。が、ドイツの伝統的なお菓子だそうだ。ドイツではビールのおつまみとしても好まれるそう。

 

この家の3階の窓から紐に付けられた籠がつり下がっている。上階に住んでいる人が、物売りが通った時などに代金と品物の受け渡しに使うものだろう。郵便物を入れてもらうシーンもTVで見たことがある。

 

その後、ブルク門から城外へ出て「ブルク公園」へ。そこからの旧市街の眺め。

「ブルク公園」はお城があった跡地に造られた公園で、ローテンブルクの歴史の幕開けとなった場所でもある。

 

その後、再び旧市街へ。街の中心「マルクト広場」へ戻ってきた。

その周辺のお店のウィンドー(どこのお店か忘れました)。ハイデルベルクにもあった「ケーテ・ヴォルファルト」のお店もある。年中クリスマスグッズが販売されている。

 

こちらが「ケーテ・ヴォルファルト」のお店。(動画からとった写真)

そのお店の前の景色。

前方は市庁舎がある「マルクト広場」。

 

「マルクト広場」↓ この広場に面して左側が「市庁舎」、右側が「市議宴会館」(修復中)。この辺りからフリーで歩く。

 

「市庁舎」は、ルネサンスとゴシックの2つの異なる建築様式で建てられているマルクト広場を代表する建物。

「市議宴会館」はその昔、仕事を終えた市議達がお酒を飲みながら慰労したところ。その壁面に仕掛け時計「マイスタートルンク」がある。定時になると時計の両側の窓が開いて、ティリー将軍とヌッシュ市長が現れ、ジョッキを手にした市長がワインを飲み干す。

 

このマイスタートルンクの伝説は、30年戦争の最中に、攻め込んできた敵のティリー将軍が3リットルのワインを一気に飲み干す者がいたら街を破壊しないと言った。それで当時の市長ヌッシュが見事にワインを一気に飲み干し、この街を救い英雄となったというお話。

 

修復中のため、そのマイスタートルンクがよく見えなかった。

 

市庁舎の前の通り沿いの風景。木組みの建物が美しい。

その木組みの建物の前にある「聖ゲオルグの噴水」。ローテンブルクの最も大きな噴水で、長年市民の飲料水として利用されていた。

 

その後、ローテンブルクの名物菓子「シュネーバル」とお茶で休憩。場所はマルクト広場からほど近いお店だった。

シュネーバルとはスノーボールという意味だそうだ。

 

ローテンブルクで一番フォトジェニックな場所として知られている「プレーンライン」。

ヨーロッパの昔の街並みに欠かせない石畳、木組みの家、アーチトンネルを持つ塔が上手く収められる絶好の撮影ポイント。

 

 

ローテンブルクの後は、③で紹介します。