大自然が織りなす絶景 メテオラ&クエンカの旅
断崖絶壁の上の世界遺産
今回はギリシャのメテオラとスペインのクエンカの旅行記。どちらも断崖絶壁の上の世界遺産です。
私は初めてメテオラを知った時から、その不思議な光景が頭から離れず、いつか行って見たいとずっと思っていた。
2007年のギリシャ旅行で、ついにその思いが実現した。そのツアーにはメテオラが含まれていたのだ。
その後、2017年のマケドニア・ギリシャ旅行でも再訪することが出来た。
「メテオラ」は、ギリシャ・テッサリア地方の北西部に聳え立つ奇岩群と、その上に建てられたギリシャ正教の修道院群を指す。
その類まれな険しい地形は、俗世との関わりを断ち、祈りと瞑想に生きるギリシャ正教の修道士にとって理想的な環境と見なされた。9世紀には既に隠修士が住み着き、14世紀以降次々と修道院が建てられるようになった。
まるで神にもたらされたかのような奇岩群の上に建つ修道院群は、ギリシャの重要な聖地となり、そこには多くのフレスコ画やイコン(聖画像)などが保存されている。
カランバカの町に近づいて行くと、目の前に恐ろしいほどに圧倒的な奇岩群が迫ってくる。
これらは、6000万年前に海底で堆積した砂岩が隆起し、浸食されて今の形になったと言われている。
「メテオラ」は、その地形及びギリシャ正教の修道院文化の価値からユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。
2回のメテオラ観光では、偶然どちらもカランバカの同じホテルに宿泊。カランバカはメテオラ観光の拠点となる町である。ホテルの背後に奇岩が聳え立っている。
ホテル裏手の景色。朝陽に照らされた岩(中央)の上に修道院が微かに見える。
ズームすると、ドームが小さく確認できる。「アギオス・ステファノス修道院」だと思う。
ホテルで朝食を済ませメテオラ観光へ。
※掲載する写真は、2回の旅行で巡った修道院やメテオラの風景です。
背後の奇岩の上に立つのは「ヴァルラーム修道院」。写真を撮った場所は、この修道院を見上げるビューポイントか、もしくは、この後行く「ルサヌー修道院」から撮ったものだと思う。
メテオラには、20m~400mの高さの奇岩群が大小60にも及び点在している。また「メテオラ」とは、ギリシャ語の「中空に浮かぶ(宙に浮いた)」を意味する「メテオロス」に由来しているそうだ。
現在6つの修道院が活動中で、いずれも拝観可能となっている。
「ルサヌー修道院」(左下)↓
垂直に切り立った岩の上(標高484m)に、16世紀中頃に建立された。現在は女子修道院となっている。
修道院の中庭を上から見下ろす。
縄梯子が下がっているのが見える。今でも使われているのかな?
「ヴァルラーム修道院」↓
標高551mの岩の上、1541年にメガロ・メテオロン修道院の隣に建てられた。元々14世紀に隠修士の居所だったところ。内部にはクレタ派の画家のフレスコ画が見られる。
内部に数多くのイコンが飾られていたのが今でも目に浮かぶ。
修道士さんが、訪れる観光客をのんびりと眺めている。
2007年時、こんな事をさせてくれた。荷物などを上げ下げする巻き上げ機の体験。
※メテオラの修道院に入る際、服装に注意が必要で、女性のパンツルックも入場不可。入口でスカートを借りることが出来ますが、この時は自前のスカートを持参するようツアー会社で言われました。
今ではどの修道院へも階段や橋を使って行くことができるが、かつては巻き上げ機で人や荷物を上げ下げしたり、縄梯子を使ったりしていたそうだ。
何だか見るだけでも怖い!
※「メテオラ 聖なる岩山とその歴史」(2007年時購入)より。
隠修士が穿たれた岩の洞穴や裂け目に住み着いていた頃、縄梯子を使って上っている様子。
テラスでパチリ!
12世紀には隠修士が住み着いていたとされている。標高528mの地点に1367年建立された。現在は女子修道院となっている。(メテオラの中には2つの女子修道院がある)
この修道院は、唯一階段なしで橋を渡るだけで行くことが出来る。因みに、ここはホテル裏手から見えた修道院。
メテオラの修道院(聖堂)内部は写真撮影が禁止されているので、お庭や外観のみ。これは撮影禁止区域外だと思う。
メテオラでも最南端に位置しているので、眼下にはカランバカの町が一望できる。
お庭。
お庭に咲いていたお花。
お庭にいたニャンコ達。
眼下に広がる絶景。
少し離れたところから見る「アギオス・ステファノス修道院」。この角度から見ると端正な姿に見える。
バスはビューポイントに停車してくれる。
「メガロ・メテオロン修道院」(左)と「ヴァルラーム修道院」(右)
「ヴァルラーム修道院」
「アギオス・ニコラオス修道院」(左)と「ルサヌー修道院」(右)
「メガロ・メテオロン修道院」↓
標高613mの岩の上に、14世紀半ばにアサナシオスによって創建された。地表からの高さは400mにも達しメテオラの中で最も高く、そして最も規模が大きく壮麗であることから、大メテオラ(メガロ・メテオロン)と称されている。
15世紀から16世紀にかけて作成されたフレスコ画やイコンなど、ビザンティン美術の宝庫でもあるそうだ。食堂は博物館として公開されている。
この修道院へは、146段の階段を上る。ハアハアゼーゼーしながら階段を上り、なかなか大変だったのを記憶している。そのせいか修道院内部の記憶が殆どない・・😭。
団体ツアーの場合は、1回の訪問で2つの修道院を訪れるのが一般的なようだ。私は、重複することなく4つの修道院を訪れることができた。
さて、映画『007/ユア・アイズ・オンリー』を見て、メテオラを訪れてみたいと思う人も少なからずいるみたいだ。私の古いガイドブックにも、この映画のロケ地をメモしてあった。
いったいどうやって修道院まで行くの?・・と思ってしまう。
映画ではこの修道院に敵が潜んでいて、ジェームズ・ボンドがこの岩山を一本の命綱だけで登っていくシーンがある。スリル満点!
さて、断崖絶壁の上に人々が暮らす家々や寺院・城などの建物がへばりつくように建っている、そんな絶景が世界にはたくさんある。私の印象では、ヨーロッパの地中海沿岸の国々に多いような気がする。
スペインのクエンカもその一つだ。ここは断崖絶壁の上に街が広がっている。
ところが、スペイン・ポルトガル旅行の写真が残っていない。この時はデジカメの調子がすこぶる悪く、ほぼ写真が全滅状態だった😭。
※以下、写真素材サイトからダウンロードしたものです。
私達のバスはこの崖の下にある駐車場に停まり、そこから歩いて崖の上にあるクエンカの旧市街へ上って行った記憶がある。
この地形は、河川が大地を浸食してできた断崖だそうだ。旧市街は2つの川に挟まれたところにある。そして断崖の上には、中世に家々がぎっしりと建てられた。まさに敵の侵入を許さない要塞都市だ。
背後の山々にも奇岩が連なり、その不思議な景観から「魔法にかけられた町」と呼ばれるそうだ。
切り立つ崖の上に歴史的建造物が数多く残る旧市街が、世界遺産に登録されている。
「宙づりの家」↓
クエンカのシンボルであり、クエンカで最も有名な建物。14世紀に王家の別荘として建てられ、18世紀末までは市庁舎として使われていた。
現在は「抽象芸術美術館」となっている。
この写真を見ると、宙づり感が伝わってくる。
ライトアップされた「宙づりの家」。
旧市街の中心部にある「カテドラル」↓。13世紀に建てられたゴシック様式の大聖堂。
ヨーロッパ旅行は3月に行くことが多かったので、ちょうどこの時季に地中海沿岸の国々では濃いピンク色の花が咲いているのをよく見かけた。
クエンカを訪れた日は、ポカポカ陽気の暖かい日。駐車場の周囲には、桜の花に似たピンク色の同じ花が綺麗に咲き誇っていた。その時、駐車場にいたスペイン人のおじさんが「アーモンドの花」だと教えてくれた。
満開のアーモンドの花↓ (※これはクエンカの街ではありません)
スペインでは、有名な「トレド」も特異な地形にある美しい世界遺産の街。でも、私はクエンカの方が印象深い。というのも、こんな綺麗な花を見たからかもしれない。
このスペイン・ポルトガル旅行は、2011年3月末。ちょうど「東日本大震災」が起きて日本は大混乱な時期だった。
「こんな大変な時期にのん気に旅行へ出掛けてもいいもんだろうか?」と相当悩んだ。しかし、すでにキャンセル料が掛かる時期にも入っているし、なるべくキャンセルは避けたいという気持ちとで心は揺れ動いた。
一緒に行く友達と話し合い、最終的に行くことを決心した。結果、思い切って行って良かったという感想だ。
大震災後、世界中から日本人の冷静な振る舞いに称賛の声が上がったことは記憶に新しい。でも、それはニュースや新聞紙上だけでは?・・と、私は思っていた。
ところが、特にスペイン国内を巡っている時、レストランなどで何度か称賛の声を掛けられたり、ある店ではワインを、ある店ではデザートのサービスをしてくれたりと、行く先々で日本人の私達を励ましてくれたのだ。
彼らの話すスペイン語は、添乗員さんが逐次通訳してくれた。(※この添乗員さんは、偶然にも私の家のご近所の出身の方でした。)
旅行でスペインまで来られる私達は被災者ではないのに、そんな言葉やサービスを受けられることに、被災者の方々に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。が、同時にとっても有難く胸が熱くなる思いだった。海外旅行でそんな経験ができたことは貴重な思い出であり、是非ともブログに書きたかったことだ。
ポルトガルのリスボン市内では、有名な「ビカのケーブルカー」を乗り場で待っている時、オランダ人旅行者の女性から声を掛けられた。彼女は流暢な英語で、日本で起きた地震のことを聞いてきたのだ。
彼女がNetherlandから来たと話したところで、私は地震の様子をどんな風に伝えたらいいのか考えていて、既に頭の中はパニック状態。
その時、私がNetherlandの意味が分からないと思ったらしく、さらに彼女はDutchと付け加えて言った。
う~ん、それは分かっているんだけど・・・、何とか地震のことを色々伝えたくても伝えられないもどかしさ、情けない私の語学力。
結局、話が続かないまま、下からやって来たケーブルカーにお互いに乗ったのだった。(リスボンでのフリータイムの時です。)
リスボンの街の風景。
毎回、海外旅行へ行く度に「日本に帰国したら英語を勉強するぞ!」と固く決心するのですが・・😢。一向に上達しません。
(終)