碧く美しいアドリア海沿岸の国&オーストリアの旅②
ドブロヴニクからザルツブルクまで
この旅行で一旦入国したボスニア・ヘルツェゴヴィナの「ネウム」から、飛び地になっているクロアチアの「ドブロヴニク」へ向かう。
途中の景色。湖?
ドブロヴニクで宿泊したホテル。
目の前の海辺へこの日も朝散歩。入り江では朝から泳ぐ人の姿も見られた。
先ずは、ドブロヴニクを一望できる場所へ。右側には「スルジ山」。この山へはロープウェイで行ける。この山頂は、ドブロヴニクの旧市街を眼下に見下ろせる絶景スポットになっている。
ドブロヴニクは“アドリア海の真珠”と称えられ、クロアチアきっての観光地。海に突き出たところにオレンジ色の瓦屋根がぎっしり並ぶ旧市街は、堅固な城壁で囲まれている。
ドブロヴニクは、13世紀頃から地中海交易の拠点として繫栄した。過去には1667年の大地震、1991年からの旧ユーゴスラビアの攻撃など、幾度となく被害を受けてきたものの、その度に修復を繰り返してきた。1979年にユネスコの世界遺産に登録されたが、いっときは危機遺産リストに挙げられた。終戦後、精力的な復元が進められ1994年に改めて世界遺産に登録された。
旧市街の入口「ピレ門」。
ピレ門を入ると、中心部ルジャ広場まで続く「プラツァ通り」がある。
通りの右手に「オノフリオの大噴水」(左写真)、ここでは、天然の湧き水を飲むことが出来る。通りの左手に「フランシスコ会修道院」(写真右側の建物)がある。この修道院内には、ヨーロッパで3番目に古い薬局「マラ・プラーチャ薬局」がある。
旧市街のメインストリート「プラツァ通り」の左右に見られる狭い路地。
突き当りが「ルジャ広場」。この広場に「聖ヴラホ教会」(右写真)がある。聖ヴラホは、ドブロヴニクの守護聖人。
広場に立つ「オルランドの柱」(左写真)。ルジャ広場からスルジ山を望む。頂上には十字架が立っている。
広場に面する「スポンザ宮殿」。16世紀、ドブロヴニク旧市街が海洋貿易都市ラグーサ共和国の時、税関や造幣局として建てられた。現在は国の古文書館。
かつてはドブロヴニクの玄関口だった旧港。沖合に大型クルーズ船が停泊していた。
「オノフリオの小噴水」。 「青空市場」、果物や農産物がメインに売られている。
「総督邸」(文化歴史博物館)。ラグーサ共和国の総督の住居であったが、同時に共和国の行政を司る全ての機関が集まったところ。
「聖母被昇天大聖堂」の外観と内部のパイプオルガン。
イタリアの有名画家ティツイアーノが16世紀に描いた「聖母被昇天」。この時は修復中だったのか、こんな形になっていた。
旧市街で見かけた円形劇場がネクタイを絞めている写真。 右写真は城壁への登り口。
クロアチアはネクタイ発祥の地、そして、クロアチアのプーラにある円形劇場。これは「CROATA」というネクタイ専門店を展開するポトマック社による写真だそうだ。
城壁からの眺め。
ドブロヴニクは、ジブリ映画『魔女の宅急便』や『紅の豚』のモデルになったと言われている。
この後、クロアチアを北上し、その日は先に掲載したGospicに宿泊。
その翌日は、「プリトヴィッツエ湖群国立公園」へ。この国立公園は大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観をつくり出しており、1979年世界遺産に登録された。
この湖群は、石灰華(石灰質堆積物)の働きで川に自然のダムが造られたことで生まれ、湖が階段状になって点在する。
幾筋もの滝が湖と湖を繋いでいる。
日光の角度によって湖面の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーに変化するそうだ。
段差になっている。
遊覧船に乗船。
昼食をとったレストランに並ぶケーキ。クロアチアの伝統的なケーキが並んでいる。
この後、クロアチアの首都「ザグレブ」へ。ザグレブは、内陸に位置する小ぢんまりとした首都である。先ず、丘の上にある旧市街から観光。
「聖母被昇天大聖堂」と大聖堂前のカプトル広場に立つ聖母マリア像を施した塔。
この大聖堂はザグレブのシンボルの一つだ。二つの尖塔は美しく国内一の高さを誇り市内のどこからでもよく見える。
主祭壇の奥にあるステンドグラス。
アロイジェ・ステピナッツ大司教のお墓。ガラスケースの中はステピナッツを象った人形が置かれている。ステピナッツは波乱の人生を送った人だそうだ。
オスマン帝国軍の侵入に備えて造られた城壁。
お洒落なカフェやレストランがたち並ぶ。
「石の門」。今なお祈りを捧げに来る市民。
ザグレブ旧市街は、カプトルとグラデツの二つの中世の都市があった。「石の門」は、かつてグラデツの東の門。門の中の礼拝堂に安置されたキリストを抱く聖母マリアのイコン。聖母マリアはザグレブの守護聖人でもある。
屋根瓦が印象的な「聖マルコ教会」。
向かって左側の紋章は、クロアチア王国(左上)・ダルマチア地方(下)・スラヴォニア地方(右上)を表す。右側の紋章はザグレブの市章。
教会が建つ聖マルコ広場には、教会に向かって左側に「首相官邸」(左)、右側に「国会議事堂」(右)がある。
旧市街の高台からの眺め。 柵の外側に寝転ぶ猫。怖っ!
ザグレブのヘソとも言われる「イエラチッチ広場」。イエラチッチ総督の騎馬像と広場に停車する青いトラム。
リュブリャナ旧市街を一望できる山の上に建つ「リュブリャナ城」。
鮮やかなピンク色の「フランシスコ会教会」。バロック様式のファサードが特徴。
この教会の前にリュブリャッツア川が流れ、教会の前には「三本橋」が位置する。
三本橋の東側にある「龍の橋」。
三本橋と龍の橋の間にある「肉屋の橋」。 橋には”愛の南京錠”。
ここで余談。
前アメリカ大統領夫人メラニアさんはスロヴェニア出身で、リュブリャナ大学中退後モデルとして活動していたそうだ。後に内戦の影響もあってアメリカへ移住したとのこと。
この後、ヨーロッパ最大の大きさを誇る「ポストイナ鍾乳洞」(スロヴェニア)へ。
先ず、トロッコ列車に乗って洞窟内を2㎞ほど進む。その後、徒歩で見学。
鍾乳石の形によって「スパゲティ」「カーテン」「ブリリアント」など、広々した空間には「コンサートホール」と名付けられた場所もある。
真っ白な鍾乳石「ブリリアント」↓
ザルツブルクは、都市名の語源にもなっている「塩の街」、またモーツァルトの生地でもあることから「音楽の街」とも言われている。旧市街と歴史的建造物は、世界遺産に登録されている。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台になった「ミラベル宮殿・庭園」。
庭園から「ホーエンザルツブルク城」を望む。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの家」、1773年~1781年まで住んだ家。ウィーンに移るまで彼はここで沢山の名曲を作曲した。
「ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家」、ザルツアッハ川北側のモーツァルトの家からほど近い所にある。
「ゲトライデ通り」のお洒落な鉄細工の看板。とっても素敵‼
中世の時代に文字が読めなかった人が多く、すぐに何のお店か分かるように作ったのが始まりだそうだ。
ゲトライデ通りにある「モーツァルトの生家」。モーツァルトは、1756年にこの家で生まれた。今は博物館として公開されている。
ザルツブルク音楽祭の会場となる「祝祭劇場」、世界中から音楽ファンが集まるそうだ。長さが225mにも及ぶ。また、音響の良さにも定評がある。
「ザルツブルク大聖堂」前の聖母マリア像と内部。モーツァルトは、ここで洗礼を受けたそうだ。
建物壁面の黄金の冠をマリア像の頭上に載せたように写真を撮った↑(左)。
司教広場にある金の玉に乗った男のオブジェと、山の上の「ホーエンザルツブルク城」。
全ての旅程が終了し、ドイツのミュンヘンから日本に帰国した。
(終)