yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

碧く美しいアドリア海沿岸の国&オーストリアの旅①

朝散歩

 

2011年7月、スロヴェニアクロアチアオーストリアの旅。

 

団体旅行では時間と体力に余裕がある時、ホテル周辺の朝散歩に出掛ける。7月、ヨーロッパの爽やかな朝は散歩には持って来いの季節である。

到着地はドイツのミュンヘンだったと記憶しているが、そこから陸路でオーストリアへ入国。そして、最初の宿泊地がオーストリア南部のグラーツだった。

 

グラーツは泊まるだけでは勿体ないと、朝、早速散歩に出掛けた。友達と一緒に、街のシンボル的存在「時計塔」の見える所まで歩こうと急ぎ足で向かった。

 

その途中で見かけた標識↓

「Schule」はカタツムリのことかな?と、当時は思って写真を撮った。でも、よくよく見るとカタツムリが道路を這っている。調べてみると、「Schule」はドイツ語で「学校」の意味だった。「スクールゾーンにつき車の走行はゆっくり」という意味だろうか? いいね! こんな標識。

 

グラーツオーストリア第二の都市。ハプスブルク家の居城が置かれ発展した街である。中世以来の建築物が多く残り、「建築の宝石箱」と称えられるそうだ。先日のTV番組『世界ふれあい街歩き グラーツ』でも、そのように語られていた。

因みに、アーノルド・シュワルツェネッガーグラーツ生まれだそうだ。

 

やっと時計塔らしきものを見つけた。写真に撮り、急いでホテルに戻った。

この「時計塔」は、旧市街の北にあるシュロスベルクの丘にある。城塞もあったが、ナポレオン軍によって破壊された。この時計塔だけは市民の熱意により残されたとのことだ。遠くからでも時間が分かるように、長針が時を短針が分を指しているそうだ。

 

さて、もう一箇所の朝散歩。クロアチアのGospicという小さな町のホテルで宿泊した時のこと。

 

ホテルを出て散歩開始。それは民家が立ち並ぶ脇道だったかもしれないが、田舎風の小さなお店のテラス席で男達がお茶を飲んでいた。私達が歩いていると、この小さな田舎町では東洋人が珍しいのだろう、ジロジロ見られたのを覚えている。

 

もう少し行くと、こんな家を発見! 銃弾の痕だ。

クロアチアが旧ユーゴスラビアから独立する際に激しく戦った跡だ。セルビアとの国境に近い都市ヴコヴァルなどにも、今もなお戦いの傷跡が残っているそうだ。

短い時間の散歩でもいろいろな発見があるものだ。

 

 

さて、オーストリアグラーツから陸路でスロヴェニアへ入国。最初の観光スポットである「ブレッド湖」は”アルプスの瞳"と称される美しい景観。その湖に浮かぶブレッド島には「聖母被昇天教会」がある。

 

ブレッド島には手漕ぎボートに乗って向かう。そして、99段あるという階段を上ると教会が現れる。

 

鐘楼と教会内部。

 

この教会には愛の女神が宿ると言われており、ここで結婚式を挙げると幸せになれると伝えられている。ちょうどこの日も結婚式があるようで、正装した人達に出会った。

 

着飾った女の子がとっても可愛い!

 

ブレッド湖周辺はヨーロッパ有数の別荘地。旧ユーゴスラビアのチトー大統領の別荘だった建物。現在はホテルになっている。

 

 

断崖の上に建つ「ブレッド城」。

 

 

その日の宿泊地オパティア(クロアチア)。高級リゾート地とあってホテルも景色も素敵だった。

 

 

 

翌日は、小さな港湾都市「ザダル」(クロアチア)へ向かう。

途中の車窓からの風景。紺碧のアドリア海

 

海に突き出た岬にあるザダルの旧市街。

 

ザダルは、2016年「European Best Destinations」で第一位に選ばれたそうだ。

 

海岸線には「シー・オルガン」が設置されている。これは風と波の力を利用して、幻想的な音色を奏でる仕組みだそうだ。肝心な仕組みの部分を写真に撮ってなかった。

 

また、シー・オルガンを設計したニコラ・バシッチのもう一つの作品「太陽への挨拶」。地面に円形にはめ込まれた太陽電池が、夜になると色とりどりに輝くそうだ。

ニコラ・バシッチは、内戦によって破壊された街の復興を目的に私財を投じて作ったのだそうだ。

 

ザダルは、夕陽が世界一と言われる絶景スポットとしても有名。夕暮れ時には、観光客や恋人たちがこの海岸へ集まってくる。

 

「聖マリア教会・修道院」(丸みをおびた白い建物)、この教会には金銀細工や宗教画などの美術品のコレクションがある。

 

「聖ドナド教会」(中央の建物)、9世紀に建てられたプレ・ロマネスク様式の円形教会。ザダルのシンボル的存在。

 

「聖ストシャ大聖堂」のファサード。 「フォーラム」に残る「恥の柱」。

「フォーラム」は、ザダルがローマ帝国の植民地だった時代、統治の中心となった場所。ローマ帝国の法律にそぐわない人物を柱に縛って見せしめにしたことから「恥の柱」と呼ばれる。

 

旧市街を移動中、こんな手作りのお土産物が売られていた。立ち止まってじっくり見たいところだが、そう出来ないのが団体旅行の悲しいところ。

 

 

7月の暑さに負け、このジェラートを食べた記憶がある。派手なデコレーション。

 

移動途中、休憩した場所の景色。

 

バスはアドリア海に沿って南下していく。その途中停車し私達に見せてくれた景色。ガイドブックには載っていない「プリモシュテン」という街。元々は紺碧の海に浮かぶ島だったようだ。クロアチアモン・サン・ミッシェルとも称えられる美しい街。

既に西日が差す時間帯で残念ながら逆光。

 

 

翌日向かったのは「トロギール」(クロアチア)。

トロギールは本土とチオヴォ島との間にある小さな島。島と本土は橋で結ばれている。紀元前にギリシャの植民都市として造られたのが始まりで、周囲は城壁で囲まれ、様々な時代の歴史的建造物がひしめく世界遺産の街だ。

北門↓

 

北門をくぐって中世の石造りの街へと入って行く。

 

「聖ロヴロ大聖堂」の鐘楼。この大聖堂は13世紀に建築が始まり、完成したのは17世紀になってからのこと。そのため様々な建築様式が組み合わさっている。鐘楼の窓も各層によって異なる様式になっている。この教会はクロアチアを代表する教会で、世界遺産に登録されている。

 

彫刻が美しい大聖堂の正面入口。クロアチア中世美術の傑作と言われている。左右両端の獅子の上には、アダムとイヴの像が見られる。

 

聖ロヴロ大聖堂の南側広場にある「時計塔」。

 

「時計塔」に向かって右側に「ロッジア」(屋根付きテラス)という建物がある。ロッジアの彫刻と天井。

 

広場にある「市庁舎」。

 

南門を出ると、チオヴォ島と繋がる橋がある。

 

チオヴォ島と海沿いの風景。奥に「カメルレンゴの砦」(右写真)が見える。

 

次は更に南下して、クロアチア第二の都市「スプリット」へ。

スプリットは、古代ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の宮殿がそのまま旧市街になったという世界的にも珍しい史跡。中世以降の建造物が混在し、今なお人々がその中で生活している世界遺産の街だ。

 

海側の通り沿いから、城壁で囲まれた旧市街に入る。

 

この案内板の下が「青銅の門」。そこから地下宮殿に入る。

 

かつては、この門のすぐ前が海だったことが分かる。

 

宮殿が廃墟となった後に人々が住み着き、地下宮殿はゴミが捨てられ埋まっていたそうだ。

地下室で発見された木製の梁。

 

 

ディオクレティアヌス帝の胸像。

 

中心部、「ペリスティル広場」へ出て来た。

広場の東側にある「聖ドムニウス大聖堂」。

 

「洗礼室(ユピテル神殿)」は、残念ながら修復中で絵が描かれた幕が下がっていた。

 

ペリスティルとは列柱のこと。絵のように広場の東西に12本ずつコリント式列柱が立ち並ぶ。

この広場へ来た時、ローマ時代の衣装を纏った人達が史劇(?)を演じているところだった。ところが、ちょうど終わる寸前、残念!

 

下の写真は衛兵さん?

因みに、衛兵の後ろにある柱の背後にスフィンクスが置かれているが、板で囲まれて見られなかった。スフィンクスは、ディオクレティアヌス帝がエジプト遠征した際に持ち帰ったと言われている。上の絵には、スフィンクスが描かれている。

 

「クラッパ」と呼ばれる男性のアカペラコーラス。この日はギターの伴奏付だった。

 

人々が建て増しを繰り返すうちに、路地が狭くなっていったそうだ。

 

六角形の「聖ドムニウス大聖堂」と鐘楼。

 

東西の通り。

 

洗濯物が干され、今もなお人々が生活している様子が窺える。

 

北側の門「金の門」。

 

「金の門」を出ると、「グルグールニンスキの像」がある。母国語でキリスト教の布教に努めた人物。

この像の左足の親指に触れると、幸運が訪れると言われている。そのせいで、ピカピカに光っていた。

 

 

この後、「ドブロヴニク」(クロアチア)へ向かう。ドブロヴニクが地理的に飛び地になっているため、一旦「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」へ入国。

 

この辺りは「ネウム」という街。

 

右側の建物はスーパーが入っている建物だったかな? クロアチアより物価が安いということで、このスーパーでツアー客は挙って買い物をする。この時は添乗員さん一押しのスープの素を買う人が多かった。

 

 

「ドブロヴニク」からは、②で紹介します。