憧れの古代文明発祥の地 エジプト⑤
~ヌビア地方~ イシス(フィラエ)神殿、アブ・シンベル神殿へ
翌日、ナイル川を南下したクルーズ船は、ヌビア地方への入口アスワンへ到着。
最初に訪れたのは、ナイル川の小島に建つ「イシス(フィラエ)神殿」。その島にはボートに乗って向かう。
向こうに見えるのは「アスワンダム(アスワンロウダム)」↓。このダムは、1902年に完成した。その後、さらに南方に「アスワンハイダム」(1970年完成)が建設された。
イシス神殿が見えてきた。
ナイル川に浮かぶ島々。ナイル川と言っても、アスワンダムとアスワンハイダムに挟まれたダム湖のようなところ。まるで海に浮かぶ島のような景色。
島の西側から見るイシス神殿。
島の船着き場から上陸し、神殿の外庭に入って来た。西側に長い列柱が続いている。
船着き場の方を振り返ったところに「ネクダネボ1世のキオスク」↓がある。
キオスクの釣鐘状の円柱には、ハトホル女神の柱頭が見られる。
現存する「イシス(フィラエ)神殿」は、プトレマイオス朝時代に建設され、その後ローマ時代に渡って増築が行われた。
この神殿は、イシス女神に捧げられフィラエ島に建てられた。フィラエ島は、イシス女神がホルス神を出産したとされる神聖な場所であり、”ナイルの真珠”と称えられる美しい小島だった。ところが、アスワンダムの建設により、この神殿は半水没状態にあった。さらにアスワンハイダム建設計画によって、他のヌビア遺跡群と同様に完全に水没することとなった。そこで、ユネスコにより1972年~1980年にかけ、フィラエ島から地勢がよく似たアギルキア島に移築・保存された。今では、このアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。
また、1979年にユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の一部として登録されている。
外庭から「第一塔門」を望む。その右側にも列柱が立っている。
第一塔門に近づいてみる。塔門は、大変保存状態がよく美しい。レリーフも異教徒により削られてはいるが、比較的綺麗に残っている。入口を背に立っているのは、イシス女神だろう。
塔門の左側にある入口は「誕生殿」への入口だそうだ。また、中央の入口前に一対で立っているのは、顔が判別できないが、ライオン像だとのこと。
右側の列柱↓
第一塔門から入って行くと、前庭に出る。こちらは「第二塔門」↓。左側に「誕生殿」。
第二塔門の左側のレリーフ。細かく削られているが、綺麗に残っている。
第二塔門の右側のレリーフ。また、右下部分に大きな石碑がある。これは、あのロゼッタストーンと同じ3種類の文字で書かれた石碑だそうだ。実は、ロゼッタストーンは唯一無二の存在ではなく、3言語にまたがって刻まれた刻文は複数発見されているそうだ。そのうちの一つがこの碑文なのだろう。
「誕生殿」の釣鐘状の円柱にも、ハトホル女神の柱頭が見られる。
右側の列柱↓。
神殿内に、このような十字架がよく見られる。コプト十字架と言う。
この神殿は、550年東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世により閉鎖された。その後、キリスト教の教会として使用され、これらは、そのキリスト教徒が刻んだ十字架だそうだ。
これは落書きのようなものだが、「BONAPARTE」(青いラインの部分)と書かれている。何とナポレオン・ボナパルトの名前だそうだ。ナポレオンがこのイシス神殿までやって来て、自ら名前を刻んだということらしい。
ナポレオンは、エジプトを征服するため軍団を率いてやって来た。そのエジプト遠征にあたって、167名の科学者や建築技術者からなる学術調査団を随行させたという。そして、多くの貴重な遺跡を初めて学術的に記録した。
この時の「ロゼッタストーン」の発見は、最も有名な業績として伝えられている。
第二塔門を入ると、「列柱室」がある。
キリスト教徒のコプト十字が刻まれた石の祭壇。壁の穿たれた穴は、蝋燭など立てた穴だそうだ。
この先が「本殿」入口で、一番奥が「至聖所」。
「至聖所」、花崗岩の台座があるだけの狭い空間。エジプト人ガイドさんが皆が集まるのを待っているところ。
この神殿の有名なレリーフ。イシス女神が息子ホルスに母乳を飲ませている。しかし、イシス女神の顔は、無残にも異教徒によってえぐられ破壊されている。これは酷い!
翼を広げて夫オシリス神を守っているイシス女神。イシス女神は、こんな姿でも表される。
外に出る。向こうに「トラヤヌスのキオスク」、手前に「ハトホル神殿」。
「トラヤヌスのキオスク」↓
島の南東方向に見えていたこの風景が気になり写真に撮った。これが沈んでしまったフィラエ島かな? グーグルマップの航空写真を見ると、沈んだ島らしき影がはっきりと映っている。
こんな岩だけの島もある。
島内で見たお花。
猫たち。
この子猫は可哀そうな姿をしている。
イシス神殿の観光が終わり、再びボートに乗って戻る。ボート上から見えた「トラヤヌスのキオスク」。
そして、気になる水没した島をもう一度パチリ!
さて、この後はバス移動で「アブ・シンベル神殿」へ向かう。その前に、アスワンの町で香水の店に立ち寄った。私は記念に綺麗な香水瓶を一つ購入。
途中の車窓の景色。多分、アスワンハイダム近辺の風景だと思う。
アスワンからアブ・シンベルへ向かうバスの中では、寝ている人が大半だった。なので、ガイドさんの説明も殆どなかったような気がする。ただ、一つだけ覚えているのは、土色の砂漠地帯を走っている時、地平線上に黒い影のようなものが見えていて、それが蜃気楼だという説明があった。私は蜃気楼を初めて見たが、イメージしていたものと違うものだったので、特に写真には撮らなかった。というより、私もうとうと寝ていて、眠気には勝てなかったのかも・・。
アブ・シンベルへ到着後、遅い昼食。そして、いよいよ「アブ・シンベル神殿」の観光。
これは、アスワンハイダムによって出来た巨大な人造湖「ナセル湖」。この湖の名前は、このダムのプロジェクトを支持した当時のナセル大統領に因んで名付けられた。
この岩山の向こう側に神殿がある。
その右側に目を向けると、真っ青なナセル湖。
「アブ・シンベル大神殿」↓
世界遺産「アブ・シンベル神殿」は、エジプト最大の岩窟神殿。大神殿と小神殿があり、建造したのは、新王国時代第19王朝の王ラムセス2世。彼は古代エジプト史上最強の権力者でその激しい気性でも有名だそうだ。
ナセル湖の畔にあるこの神殿は、北回帰線を越え、スーダンとの国境まであとわずかな所にある。
1960年代ナイル川のアスワンハイダム建設計画により、神殿が水没の危機にあったが、ユネスコによって国際的な救済活動が行われた。1964年~1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方へ移築・保存された。
この大規模な移設工事がきっかけとなり、世界遺産が創設されたことは有名だ。
さて、私達が訪れた当時は、神殿内の写真撮影が禁止されていたため写真が少ない。
神殿正面に、高さ20mのラムセス2世の巨大な座像が4体並んでいる。4体の像は、ラムセス2世の青年期から壮年期を表しているという。
この4体すべてが彼自身の像だと知った時は、よく言われているように「なんて自己顕示欲の強い王なんだろう!」と思わざるを得なかった。これまで見てきた遺跡でも、たびたび登場してきたラムセス2世。彼は”建築王”と呼ばれ、エジプト史上最大の建築活動を行った王で、全国土にわたって大規模建築を残している。
正面の左から2番目の像は、大地震により上半身が崩れ落ち、今でも足元に転がっている。この地震は、ラムセス2世が在位している時に起きた地震だそうだ。
アブ・シンベル神殿で祀られた主な神々は、ラー・ホルアクティ神、アメン・ラー神、プタハ神、神格化されたラムセス2世。この4人の神々の座像が、一番奥の「至聖所」に並んでいる。東側に向いたこの神殿の入口から、年2回(2月22日と10月22日前後)朝日が至聖所の座像まで差し込むのだそうだ。
※ラー・ホルアクティ神は、太陽神ラーとホルス神が習合した神です。
正面入口の上に、頭上に太陽円盤をいただきハヤブサの頭をした「太陽神ラー・ホルアクティ」の立像(赤丸で囲んだ像)が彫られている。
ラムセス2世の在位は67年に渡り、90歳頃まで長生きしたと言われている。公には11人の妃たちを娶り、数多くの子供(100人を超すとも)をもうけたそうだ。息子たちの何人かが4体のラムセス2世の足元に配置されている。
また、彼は妃たちの中でも特にネフェルタリ王妃を寵愛した。彼女の立像は、入口の両側に配置されている。
もう少しアップした写真↓
ちょっと見づらいが、座像の台座には他の神殿でも見られた同様の図柄が描かれている。二人のハピ神による上下エジプト統一のレリーフ。
神殿入口前には、エジプト敵軍の捕虜たちの姿が描かれている。(写真:現地購入した本より)
南側のレリーフ、ヌビアの捕虜たちがハスの花で首を縛られている。
北側のレリーフ、アジア諸国(現シリア、イラク、トルコなどの地域)の捕虜たちがパピルスで首を縛られている。
神殿に入ると、ラムセス2世のオシリス柱が8本立ち並ぶ「大列柱室」がある。
中は薄暗く、立ち並ぶ立像は圧倒される大きさだった。
さらに進むと前室、至聖所へと続く。それぞれの部屋や前室の柱などに数多くのレリーフが描かれていて、中でも有名なものは「カデシュの戦い」で戦車に乗るラムセス2世のレリーフだ。また、王のペットのライオンがさり気なく描かれているレリーフもあって面白い。
大神殿から北に100mほど離れた位置に「アブ・シンベル小神殿」がある。こちらの神殿は、王妃ネフェルタリとアブ・シンベルの地方神ハトホル女神に捧げられたもの。
正面には、高さ10mのラムセス2世と王妃ネフェルタリの立像が6体並んでいる。
左から、ラムセス2世・王妃ネフェルタリ・ラムセス2世・ラムセス2世・王妃ネフェルタリ・ラムセス2世。
また、像と像の間には奉納碑文で飾られている。そして、足元には二人の子供たちの小像が配置されている。
この正面の立像で、ラムセス2世と王妃ネフェルタリが同じ大きさで表されているのは大変稀なことで、これはラムセス2世にとって彼女がいかに重要であったかを示しているそうだ。
ちょっと余談。この王妃ネフェルタリは、古代エジプトの三大美女の一人でもある。
古代エジプト三大美女:
・ネフェルティティ(アメンホテプ4世の妻で、ツタンカーメンの義理の母)
・ネフェルタリ(ラムセス2世の王妃)
・クレオパトラ7世(日本人もよく知るプトレマイオス朝時代の女王)
の3人です。
小神殿の入口を入ると、列柱室、前室、至聖所へと続いている。列柱室には、ハトホル女神のレリーフが施された柱が並んでいる。また、小神殿の中にも数多くのレリーフが描かれていた。
神殿までの道で見かけた植物。
餌をもらって食べている犬。エジプトの遺跡では、こうした犬や猫をたくさん見かける。添乗員さんが、ここの犬たちをとっても気にかけていたのが印象的だった。
この日は、国内線の飛行機に乗り、一気に北上し首都のカイロへ移動。
この後は、⑥で紹介します。