yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

憧れの古代文明発祥の地 エジプト②

古代エジプトの都テーベ(現ルクソール)~ ナイル川東岸「ルクソール神殿」へ

 

次は、カルナック神殿から約3㎞南にある「ルクソール神殿」。

 

ルクソール神殿は、カルナック・アメン大神殿の付属神殿として、紀元前14世紀にアメンホテプ3世によって中心部が建てられた。その後、ツタンカーメンやラムセス2世によって増築されていった。

 

神殿の正面に到着。午後4時も大分過ぎていたので、太陽は神殿の南西方向に傾きかけていた。見事に逆光!

第1塔門の前には、この神殿のシンボルともいえるオベリスクが聳え立っている。このオベリスクは左右に立っていたが、現在は左側の1本のみで、右側には土台のみが残っている。

もう1本のオベリスクは、現在パリのコンコルド広場に立っている。

これは神殿内の見学後に撮った写真↓。

 

パリのコンコルド広場に立っているルクソール神殿オベリスク↓。

このオベリスクに関しては、オスマン帝国支配下のエジプト総督だった「ムハンマド・アリー」が、フランスから贈られた大時計のお礼にフランスへ贈ったと言われている。

ところが、現地で購入した本↓によると、右側のオベリスクフランスに持ち去られたと書かれている。本当のところはどうだったんだろう?

 

第1塔門の左右に鎮座する「ラムセス2世の座像」。

この第1塔門から入っていく。

 

第1塔門を入ると、「ラムセス2世の中庭」に出る。

神殿の壁や柱にレリーフカルトゥーシュがびっしり刻まれている。

 

ラムセス2世の中庭に入ると、東側に見えてくる「ガーマ・アブ・エル=ハッジャージ」↓。

13世紀頃のイスラムの聖者エル=ハッジャージのために、神殿の上に建てられたモスク。モスク建設当時この神殿の中庭や列柱廊は、4分の3ほど瓦礫や土砂で埋まっていたそうだ。それで、こんなモスクが出来上がったということだろうか? 入口のようなものが、高い位置に見える。

また、モスクの前はコプト教キリスト教の一派)の教会だったそうで、その教会を改築してモスクにしたそうだ。なんとも不思議!

 

中庭にある「三柱神の聖舟祠堂」。三柱神はアメン・ラー神、その妻ムート神、その息子コンス神を指す。

 

未開花式パピルス柱の列柱の間に挟まっている数々の立像も、ラムセス2世の姿を模したものだそうだ。

 

「アメンホテプ3世の塔門(第2塔門)」。この塔門の先は、アメンホテプ3世のエリアになる。

塔門前の2体の「ラムセス2世の座像」。そこから先が二列に並ぶ「大列柱廊」。開花式パピルス柱が14本並んでいる。

このラムセス2世の座像の台座にあるレリーフ

ナイルの神「ハピ神」が上下エジプトの象徴である植物パピルスとハスを結んで、上下エジプトの統一を表しているそうだ。

その台座の下には、北の敵であるシリア人やアジア人が描かれている。人物の下の楕円の中には、それぞれの土地の名前が刻まれているそうだ。

なお、もう一方の台座には、南の敵ヌビア人が描かれている。

 

ラムセス2世の中庭と次の「アメンホテプ3世の中庭」とを結ぶ「大列柱廊」↓。アメンホテプ3世の中庭側から見たところ。

 

大列柱廊の端の方にある「ツタンカーメン王と妻のアンケセナーメン(右)の像」。

夫婦像の裏側から見ると、アンケセナーメンツタンカーメンの背に優しく手を添えている様子が見られる↓。仲睦まじい夫婦の像。

ところが後に、この像はラムセス2世の名前に書き換えられたそうだ。

三方を2列の円柱で囲まれている「アメンホテプ3世の中庭」。この中庭は「太陽の広場」とも言われる。

 

この中庭の先にある列柱室を抜けると「ローマ時代の内陣」がある。4世紀頃、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝がエジプトに来た時にルクソール神殿を城塞化し、一部を変え皇帝崇拝の場所を造ったのだそうだ。石柱がエジプト風ではなくローマ風? 

その前で説明するエジプト人ガイドさん↓。この先の「至聖所」へ通じる入口にもなっている。

この壁には、明らかにローマ人と思われる人々が描かれたフレスコ画が見られる。よく見ると、元のレリーフの上に描かれているのが分かる。

 

この先には、アメンホテプ3世やアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の構築部分もある。

 

ここから戻っていく。列柱室の先に大列柱廊が見える。

 

周囲の外壁には、戦闘風景や宗教儀式のレリーフが描かれているが、大分薄暗くなってきたせいか上手く写真が撮れていないものが多かった。

これは、どこのレリーフか記憶にない😭。

 

神殿の外に出て来た時に撮った「スフィンクス参道」。約3km離れたカルナック・アメン大神殿へと続いているそうだ。

 

この日の観光は終わり、この旅の楽しみでもある「ナイル川のクルーズ船」へ。夜、船内で催された「タンヌーラダンス」。

このエジプト伝統の旋回舞踊「タンヌーラダンス」は、トルコのイスラム神秘主義メヴラーナ教団の旋回舞踊セマーを元に、エジプト風にエンターテイメント化されたものだそうだ。

最後の方になると、暗闇の中でくるくる回る衣装が電飾で光り輝き、とても綺麗だったのを覚えている。

 

ベリーダンスショーもあった。なかなか肉付きのいい踊り子さんだった。



 

翌日はルクソール西岸の観光。

この後は、③で紹介します。