yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

憧れの古代文明発祥の地 エジプト①

今年は、ツタンカーメンの墓が発見されてからちょうど100年。このところ、エジプトに関する気になるニュースが多い気がします。

首都カイロでは「エジプト考古学博物館」が老朽化し手狭になってきたのに伴い、郊外に「大エジプト博物館」を新たに建設中です。昨年正式オープンした「国立エジプト文明博物館」にファラオたちのミイラが華々しいパレードで引っ越ししたニュースもありました。また、今年に入って、「失われた黄金都市」と呼ばれる大規模都市跡がルクソール近郊で発見されたニュースなど、古代文明発祥の国ならではの話題が尽きません。

今回は、そのエジプト旅行(2017年訪問)をふり返ってみたいと思います。

因みに「大エジプト博物館」は、2017年当時も建設中でした。オープンはコロナの影響もあり遅れていて、2023年中のオープンを目指して建設が急ピッチで進められているそうです。

 

古代エジプトの都テーベ(現ルクソール)~ ナイル川東岸「カルナック神殿」へ

 

この旅は、カタールのドーハ乗り継ぎだった。ドーハといえば、今年サッカー日本代表の活躍により”ドーハの歓喜”で湧き、いまだその興奮冷めやらぬというところ。ドーハは、そのFIFAワールドカップの開催地カタールの首都だ。

搭乗したのはカタール航空で、到着地はエジプト南部のルクソール

 

とても広いドーハのハマド国際空港↓。

空港内でひと際目立つ「ランプベア」と呼ばれる巨大なテディベア。なんとこのテディベアのお値段、680万米ドルだそうだ。カタールの王族がオークションで落札したとのこと。さすがにお金持ちの国!

このオブジェの下は、子供の遊び場。

 

いよいよルクソール行きの便に搭乗。1月だったけど、生暖かい風が吹いていたのを覚えている。

 

 

ルクソールはかつて「テーベ」と呼ばれ、何世紀にも渡って首都として繁栄を極めた都市。その全盛期は新王国時代。この町はナイル川中流域に位置し、川を挟んで東岸と西岸に分かれている。太陽神が崇拝されていた古代エジプトでは、太陽が昇る東岸は「生者の町」、太陽が沈む西岸は「死者の町」とされ、東岸には神々を祀る神殿、西岸には墳墓が造られた。

古代都市テーベとその墓地遺跡」は、1979年に世界遺産に登録されている。

 

ルクソールの最初の観光スポットは、ナイル川東岸にある「カルナック神殿」。

 

カルナック神殿」は紀元前2000年頃から建設が始まり、いくつかの神殿を有する複合体を指す。その中でも通常観光客が訪れるのは「アメン大神殿」、エジプト最大規模の遺跡だ。

アメン神は、もともとテーベの地方神だった。テーベがエジプトの首都になると、アメン神は太陽神ラーと習合し、国家の最高神アメン・ラーとして崇拝されるようになった。この信仰の地に約2000年に渡って、ファラオ(王)たちが神殿・オベリスク・神像など寄進し、増改築を重ねて拡張されていった。

 

スフィンクス参道から神殿へ入って行く。ここには、雄羊の頭をもつスフィンクスが左右に並んでいる。

そのスフィンクス参道の手前に、1基の小ぶりな「セティ2世のオベリスク」が立っている。もとは対で立っていたそうだ。

また、この参道の手前は、ナイル川の船着場だったそう。「オペト祭」には、ここからご神体を載せた聖舟がルクソール神殿まで移動したそうだ。

 

神殿の周壁は、日乾煉瓦で築かれている。

この第1塔門から最初の第一中庭を見たところ。

 

第一中庭から見た第2塔門。右に「タハルカ王のパピルス柱」。

中央にある白い台は、エジプシャンアラバスターで造られている「供物台」。

 

第2塔門前に立っている「パネジャムの巨像(もとラムセス2世像)」。

 

壁面には、数多くのレリーフ。儀式の様子を描いたレリーフだったかな?

このような楕円形で囲まれたものは、カルトゥーシュ(王名枠)↓と言われ、その中に古代エジプト象形文字ヒエログリフで王の名前が刻まれている。カルトゥーシュは、神殿の中にたくさん見られる。

アンクを手に持っているレリーフ↓。

※アンク:エジプト十字とも言われ、「生命」あるいは「生きること」を意味しています。また、ヒエログリフにも使われています。

アンク↓

 

第2塔門の先には、この神殿のハイライトとも言える「大列柱室」がある。柱は全部で134本あり、通路沿いの12本の柱は、高さが21mと他の柱より高く上部が傘のように広がっているパピルス柱(開花式パピルス柱)。その他の柱は、上部が未開花式パピルス柱。人の背丈と比べてみると圧倒される高さと大きさだ。

未開花式パピルス柱が並ぶ。

柱の上部にある縦格子の高窓↓。本来「大列柱室」には屋根があって、ここから採光されていたと考えられている。

柱と柱を繋ぐ梁の下側もカルトゥーシュヒエログリフが刻まれている。そして、彩色も確認できる。

柱に刻まれたカルトゥーシュ

 

大列柱室の外側に出ると、壁面に刻まれた「世界最古の平和条約文書」が見られる。これは、ラムセス2世がヒッタイトと戦った「カデシュの戦い」の後、ヒッタイト側とエジプト側が和平を結んだ平和条約の文だ。残念ながら、その壁面の写真は撮ってなかった。

 

第3塔門と第4塔門の間に立つ「トトメス1世のオベリスク」。

大列柱室方向を見た時の「トトメス1世のオベリスク」(左)。オベリスクは対で立っていたが、一本は残っていない。

また、神殿の間から「王家の谷」や「ハトシェプスト女王葬祭殿」があるナイル川西岸が見える。

 

第4塔門と第5塔門の間にある「ハトシェプスト女王のオベリスク」。世界最大級のオベリスクだそうだ。

大列柱廊から2本のオベリスクを望む。ハトシェプスト女王のオベリスクの方が距離があり高いので、2本のオベリスクがほぼ同じ高さに見えている。

 

第6塔門の先には、2本の角柱が立っている。南の柱には上エジプトを象徴するロータス(右)が、北の柱には下エジプトを象徴するパピルス(左)が浮き彫りされている。

 

2本の角柱の先にある「至聖所」の天井だったかな? こんな綺麗な装飾、星空を表している。

 

アメン大神殿の境内にある「聖なる池」。

聖なる池の近くに置かれている「ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク」。これは、対で立っていたもう一方の折れたオベリスクだそうだ。

その近くにある「スカラベ像」。スカラベはフンコロガシのことで、古代エジプトでは神の化身。

スカラベ像越しに見える2本のオベリスク↓。「トトメス1世のオベリスク」(左)と「ハトシェプスト女王のオベリスク」(右)。

境内の南側の方向にクレーンが見える。まだまだ修復途中。

 

第一中庭方面に戻ってきた。第一中庭の南側にある「ラムセス3世神殿」の正面入り口。

神殿内部、オシリスを象る王の立像が並んでいる。この神殿は、第1塔門ができる前に既にアメン神殿の外にあったそうだ。

 

再び第一中庭に戻ってきた。ずらりと並ぶスフィンクスは、第1塔門ができる以前に第2塔門へ繋がる参道にあったもの。第1塔門の構築後、この中庭の両脇に移されたのだそうだ。増築され拡大されていったことが分かる。

また、第一塔門側を中庭から見たところ。実は、この第一塔門は未完成なんだそう。それは塔門の内側に泥煉瓦を積み重ねた傾斜面↓があることで分かるそうだ。これによって、塔門がどのように構築されたかの手掛かりを示しているとのこと。



さて、ルクソールの町だったかな?貴金属のお店に行った。そこで購入したカルトゥーシュのペンダントヘッド。ここには「ネフェルティティ」の名前がヒエログリフで表記されている。裏側は、私の名前をヒエログリフで表記してもらった。

ネフェルティティは古代エジプト三大美女の一人として有名で、あの有名なツタンカーメンの義理の母でもある。

 

 

この後の「ルクソール神殿」の観光は、②で紹介します。