憧れの古代文明発祥の地 エジプト⑧
~首都カイロ~ エジプト考古学博物館
いよいよ最終観光スポット、「エジプト考古学博物館」。
この博物館は1902年に開館した。フランス人考古学者で、エジプト考古局初代長官になったオギュスト・マリエットが創始者。かつて国外へ流出が止まらなかった遺跡からの出土品を管理し、博物館へと姿を発展させたのが始まりだそうだ。収蔵点数は20万点を超える。
歴代ファラオの財宝が数多く展示されていて、中でもツタンカーメンの「黄金のマスク」は一番人気。
入口に近い中央部↓
館内中央が吹き抜けになっている。1階は時代別、2階は種類別の展示。なお、2階の1/3はツタンカーメンの秘宝が展示されている。
ラムセス2世の立像
ジェセル王の座像
ジェセル王の階段ピラミッドの北側にあるセルタブ(密室)から見つかったもの。現地にはレプリカが置かれている。4800年前のもので、この博物館最古のファラオの座像。目には石英が嵌め込まれていたそうだ。 <第3王朝、サッカーラ>
ハトホル女神と地方の女神に守られて立っている。メンカウラー王の河岸神殿で発見されたもの。硬砂岩製。 <第4王朝、ギザ>
書記座像
パピルスの巻物を膝に載せている。書記は、当時一般の人々より高い地位にあって「もっとも高貴な職業」と考えられていた。石灰岩製。 <第4~5王朝、サッカーラ>
カーアベルの立像
古王国時代の有名な木製立像。イチジクの木で作られている。発見された村の村長に似ていたことから、「村長の像」という名をもつ。実際のカーアベルは、メンフィスの高貴な司祭だったそうだ。眼部は石英、眸は銅だそう。 <第5王朝、サッカーラ>
カフラー王の座像
アブ・シンベル近郊から採掘された非常に硬い石(片麻岩)で作られていて、王の力強さを象徴しているそうだ。カフラー王の河岸神殿から見つかった。
<第4王朝、ギザ>
この像の側面から見ると、ホルス神が翼を広げて王の頭を抱きかかえている。王権の安泰を約束する祝福のポーズだそうだ。
ラーホテプとその妻ネフェルトの座像
写真の撮り方がお粗末。大変美しく彩色されていて、古王国時代の傑作と言われている。石灰岩製。ラーホテプはクフ王の兄弟で、ヘリオポリスの最高司祭であった。この像はメイドゥームの彼の墓にあったもの。 <第4王朝、メイドゥーム>
次にクフ王の座像を写真に撮っていたのに、見事にピンボケだったので省略。
わずか7.5㎝の象牙製の小さな像だが、クフ王の像は世界でそれ一つなんだそう。あの巨大ピラミッドを造った王の像が、そんな小さなものしか見つかっていないのは不思議!
メンチュヘテプ2世像
中王国時代の開祖であるメンチュヘテプ2世の像。彼は、古王国時代が衰退し混乱した国土を再統一した、第11王朝の王である。肌は黒く白い衣を纏い、下エジプトの赤い冠を被っている。
因みに、像に触れるかのようにしている人は現地エジプト人ガイドさん。
<第11王朝、デル・エル・バハリ>
この像は、デル・エル・バハリにあるハトシェプスト女王葬祭殿に隣接するメンチュヘテプ2世葬祭殿(赤丸のところ)からハワード・カーターによって発見された。
ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部
ハトシェプスト女王葬祭殿の第3テラス正面にあったオシリス列柱の頭部。ハトシェプスト女王は新王国時代の女王。間近で見ると、その大きさがよく伝わってくる。
<第18王朝、デル・エル・バハリ>
アクエンアテン王の巨像
異端王アクエンアテン王(アメンホテプ4世)は、ツタンカーメンの父親。彼はアテン神と呼ばれる太陽神だけを信仰する宗教改革を行い、都もテーベ(ルクソール)からアマルナへ移した。しかし、この改革によって混乱を招き、アマルナ時代は長続きすることなく終わった。 <第18王朝、テーベ?>
この王の彫像やレリーフを見る度に、この王の体型がとっても気になっていた。これはアマルナ美術の表現形態なのだそうだ。王の家族も同じような体型をしている下のレリーフからも分かる。
アクエンアテン王と彼の家族がアテンを信仰している姿 <第18王朝、アマルナ>
ネフェルティティ王妃の未完の頭像
ネフェルティティは、アクエンアテン王の愛妻であり、ツタンカーメンの義理の母。また、古代エジプト三大美女の一人でもある。
個人的な感想として、ドイツの博物館にあるネフェルティティの像よりこの像の方が美しいと思う。 <第18王朝、アマルナ>
1階の展示物の写真は以上。まだまだ有名な展示物があったと思うが、撮り忘れていたのかもしれない。
これは2階へ上がる階段の途中に展示されていたパピルス↓。
2階では、主にツタンカーメンのお宝の見学。2階は自由に見学したような記憶がある。ところが、見学者が多くて、ただでさえ下手な写真がかなり酷い状態に・・。
それぞれ金箔が施された4つの厨子を外側から順番に撮ったはず。これは最も外側の厨子。
最も内側の厨子
下図のようにツタンカーメンのミイラが納められていた。マトリョーシカのように幾重にも厳重に守られていた。
亜麻布で巻かれたミイラ+黄金のマスク ⇒ 3つの人型棺 ⇒ 石棺 ⇒ 4つの厨子 という順番。
(写真:現地購入『エジプト考古学博物館』より)
図5は、珪岩製の石棺。王家の谷のツタンカーメン王墓の玄室に置かれている。
図8の最内側の人型棺は、「黄金の棺」と呼ばれている。
アヌビスの厨子
特に写真の写りが悪い😭。 厨子の上に蹲るのはアヌビス神。金箔が張られた厨子には、宝石や護符が納められていたそうだ。
黄金の戦車
カノプス壺を納めた黄金の厨子
高さ2m、厨子の4つの側面には、それぞれ一人ずつの女神が両手を広げて立ち、内臓を守っている。
カノプス壺
カノプス壺は、王のミイラから取り出した4つの内臓(肺・肝臓・胃・腸)を納めた容器。アラバスター製。右側は容器の蓋。
古代エジプト人は死後の世界が存在すると考えていた。死後、再生・復活するために肉体を現世に留めておく必要があり、そのためにミイラ作りは永遠の命を得るための重要な作業であった。重要な4つの内臓も遺体同様に丁寧に保存された。
ツタンカーメンの杖
ツタンカーメンは左足が悪かったため、たくさんの杖も墓の中に納められていた。
ツタンカーメンの衣類(手袋・頭巾・肌着等?)
遺物の中にツタンカーメンのパンツがたくさん見つかっている。
葬儀用寝台
チーターの装飾
カバ(トゥエリス女神)の装飾
聖牛ハトホルの装飾
ツタンカーメン王墓が発見された当時の墓の前室の様子。
黄金のベッド
これは折り畳みベッドだそう。
ツタンカーメンの黄金の小像(左右)と香油壺
小像は鍍金された木像。香油壺は金と象牙で装飾されたアラバスター製。
ダチョウの羽のついた象牙の扇子
これは王の玄室から発見され、象牙と木で出来た箱に納められていたそうだ。
ツタンカーメンの半身像(マネキン)
ツタンカーメンの等身大の木像で、彼のマネキンとして使われたそうだ。少年王としてのあどけなさが残る表情で素晴らしい。なお、右側に彼のサンダルも置かれている。
背もたれに、王妃アンケセナーメンが夫のツタンカーメンに香油を塗っている姿が描かれている。肘掛は翼、脚はライオンの足をモチーフにしている。
写真では分かりづらいが、金・銀・色ガラス・アラバスターなどが、ふんだんに使われていてとても美しい。
肘掛の側面。黄金のカルトゥーシュを翼が守るように広げている。
妻が夫に優しく香油を塗る仲睦まじい二人の姿もいいが、二人の足元に注目すると、一足のサンダルを分かち合って履いている。こんな描写がとっても素敵!
(写真:『エジプト考古学博物館』より)
ツタンカーメンの等身大の立像(番人の像)
同じ像が2体あり、王の玄室を守るかのように入口の両側に立っていた。黒いニスが塗られ、部分的に金箔が張られている。
この博物館のハイライト。2階の一番奥の部屋に「ツタンカーメンの黄金のマスク」をはじめ、宝飾類や人型棺などが展示されている。この部屋は撮影禁止。
ツタンカーメンの黄金のマスク
ツタンカーメンの肖像をかたどった黄金のマスクは、王のミイラの頭部を覆っていたもの。メネスと呼ばれる頭巾には王権の象徴である蛇と禿鷹の紋章がついている。高純度の純金製(二種類の金合金を含む)。ラピスラズリ、水晶、黒曜石、ターコイズなど数多くの宝石が使われている。重さ10㎏超。
(写真:写真素材サイトより)
このマスクを見る数年前に、黄金のマスクの顎鬚が清掃中に取れてしまい、博物館の作業員が応急で接着して直したというニュースを見たので、その部分をまじまじと見てしまった。もちろん、その後の修復で綺麗になっていたので、全くそんな形跡はなかった。
王家の谷でツタンカーメンのミイラは見たのでミイラは充分と思い、ミイラ室の見学はしなかった。でも、今思えばラムセス2世のミイラは見たかったなと思う。
以上で、エジプト観光終了。
(終)