憧れの古代文明発祥の地 エジプト⑥
~首都カイロ&ピラミッド群~ カイロ・イスラム地区、ダフシュールとサッカーラへ
カイロへ入った翌日、市内のイスラム地区にある「ムハンマド・アリ・モスク」へ。
この日カイロ市内をバスで走っている時、カイロ中心部の大気汚染がとても気になった。イスラム世界最大の大都会カイロ、残念ながら汚れた空気で覆われていた。
世界遺産「ムハンマド・アリ・モスク」↓、トルコのモスクを彷彿させる美しい姿。
「ムハンマド・アリ・モスク」は、ムハンマド・アリ・パシャの指示のもとに建設され、1957年に完成した。ムカッタムの丘に立つ「シタデル(要塞)」の一角にあるこのモスクは、トルコ様式で建てられ、いくつもの巨大なドームと2本の鉛筆形の高いミナレットをもつ。
緑色のドームは、ムハンマド・アリ・モスクの隣にある「ガーマ・インナースイル・ムハンマド」↓。※ガーマはモスクのことです。
「シタデル」は、十字軍を破ったサラーフ・アッディーンによって12世紀に建造された要塞のことで、その後19世紀まで代々王朝が変わってもカイロの中枢であり続けた。
私達はモスク内の見学はなしで、写真タイムだけだった。フランスから贈られたという大時計を見られなかったのは、ちょっと残念だった。
その後は、ナイル川西岸を南に向かってバス移動し、数多くのピラミッドが立ち並ぶダフシュールとサッカーラへ。
ダフシュールに到着。見えてきたピラミッドは、世界遺産「屈折ピラミッド」↓。
このピラミッドは途中から角度が変わっているので、「屈折ピラミッド」と呼ばれている。なぜ屈折したかというと、石を積み上げていく過程で、角度が急勾配過ぎて重量を支えきれなくなったためだと推測されている。ピラミッドの下部には、表面の化粧石がきれいに残っている。
このピラミッドは、古王国時代のスネフェル王(クフ王の父親)のものとされている。つまりギザのピラミッドより古いものだ。
ダフシュールには、屈折ピラミッドより北側にスネフェル王が築いたもう一基のピラミッドがある。赤っぽい石が使われている「赤のピラミッド」(世界遺産)↓。
こちらは、きれいな真正ピラミッドで、この傾斜角度は、屈折ピラミッドの上部の角度とほぼ同じだそうだ。
遠くに見えるのは「黒のピラミッド」↓。中王国時代のアメンエムハト3世のピラミッド。だいぶ崩れている。
次は、北上してサッカーラへ。
そこでカーペットのお店に立ち寄った。実演と販売だったような記憶があるが・・、よく覚えていない。
この店の前の景色。この辺りは、たくさんのナツメヤシの木が茂っている。
サッカーラは、古王国時代の都メンフィスの西に広がる大地。メンフィスのネクロポリスとして、数多くのマスタバ墳やピラミッドが造られた。それは、3000年以上に渡って続いたそうだ。
サッカーラの「ジェセル王の階段ピラミッド」へ到着。
このピラミッドは、単体ではなく、付属の建造物とあわせた複合体(ピラミッド・コンプレックス)を形成している。下の写真は、この複合体を囲む高さ10.4mの周壁の一部↓(入口付近だけ復元されている)。
中央はピラミッド・コンプレックスへの入口。
ピラミッドの左側には、「セド祭(王位更新祭)」のための建造物が見える。
この階段ピラミッドは、古代エジプト第3王朝第2代ファラオのジェセル王の命によって、今から約4600年以上も前に建造された。ギザのピラミッドより100年ほど前のもので、史上初のピラミッドと言われている。
建設を担当したのは、ジェセル王の重臣イムホテプ。当初台状のマスタバ墳として建設される予定だったが、拡張が繰り返され、最終的に6段の階段状のピラミッドとして完成した。また、初めて建物全体が石造で建設されたピラミッドでもある。
この建設を担った史上最古の建築家イムホテプは、このピラミッドの建造により名を馳せることになったが、彼はまた大司教でもあり、優れた医者でもあったそうだ。この近くに「イムホテプ博物館」もある。
さて、入口から入ると、2列に20本の石柱が並ぶ柱廊がある。柱の形状は、植物を束ねた形だそうだ。
柱廊を抜けると、階段ピラミッドの南側に広がる中庭に出る。この当時、ピラミッドは修復中で足場が組まれていた。
このピラミッドの玄室やそれを取り巻く多数の部屋は、地下28mの深さに造られている。複合墓で、とても複雑で迷路のようになっているそうだ。
現在は一般公開されているそうだが、私達は内部に入っていないので、当時は公開されていなかったのかもしれない。
中庭から見た東側の付属の建造物。
高いところに立つと、南にダフシュールの「屈折ピラミッド」と「赤のピラミッド」が見える。
ここは、「南の墓」(竪穴墓)への入口。ジェセル王のカァのための墓だそうだ。石のブロックを積み重ねた棺が置かれている。また、ジェセル王の走るレリーフが有名とのこと。
このピラミッド・コンプレックスの周辺には、多くのマスタバ墳やピラミッドが点在している。
階段ピラミッドの南西方向にある「ウナス王のピラミッド」↓。崩れかけた丘のような形でピラミッドに見えないが、内部には「ピラミッドテキスト」と呼ばれるヒエログリフ文書がびっしりと刻まれているそうだ。
左の方向にダフシュールの2つのピラミッドが微かに見えている。
サッカーラから数キロ北のアブー・セールにある3つのピラミッドが見えている。(ズームした写真) 空気が澄んでいれば、ギザの三大ピラミッドも見えるそうだ。残念ながら、この日は見えなかった。(撮っていた動画で確認)
「ジェセル王の階段ピラミッド」は、『メンフィスとその墓地遺跡』の一つとして、「ギザの三大ピラミッド」やダフシュールの「屈折ピラミッド」、「赤のピラミッド」とともに1979年世界遺産に登録されている。
この日の観光は終わり、カイロのホテルに戻る。
翌日のエジプト最終日は、⑦で紹介します。