yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

エキゾチックで多彩な魅力をもつ国 モロッコ②

ロッコの古都

 

ヴォルビリス遺跡からモロッコの内陸部にある古都「メクネス」へ。

 

「メクネス」は、17世紀にイスラム教国アラウィ―朝の都として造られた。アラウィ―朝は、現在も首都ラバトで続いている王朝である。

 

メクネスは静かで落ち着いた雰囲気が漂う古都。メクネスが繁栄を極めた、ときの国王「ムーレイ・イスマイル」は街の大改造を行った。古い街並みを壊し、ヨーロッパの文化を取り入れイスラム文化と融合した様式の建造物を次々に造った。しかし、街が完成する前にイスマイルは亡くなり、次に即位した息子は他に遷都してしまう。メクネスは約半世紀続いただけで衰退の一途を辿ることになったのである。

この街は1996年に世界遺産に登録されている。

 

先ず、重要な文化遺産があるメディナ(旧市街)へ。

王都へのメインゲート「マンスール門」↓。この門はムーレイ・イスマイルが手がけた最後の建築物で、彼の死後、息子の時世の1732年に完成した。

見事なモザイクや精緻な彫刻が施されたこの門は、「アフリカで最も美しい門」とも称される。

 

このマンスール門の向かいに位置する「エディム広場」。広大なこの広場の北側にはスークが広がっている。

 

スークの広がるメディナへ入って行く。

ロッコの菓子類やデーツなどが売られている。どれも甘そう!

様々なスパイスが売れらている。一色ではなく色の層になっているのが面白い。

こちらにはハーブ類も売られている。

どこの国へ行った時でも市場を覗くのは、その国の生活を垣間見ることが出来るようで楽しい。

 

メクネスでの私達の観光はこれで終わりだった。

 

メクネスでもう一つ重要な見所がある。それは「ムーレイ・イスマイル廟」↓。

当時のガイドブックにはマーカーでチェックしてあるので、見学予定になっていたと思うが、なぜか見学した記憶がないし写真もない。

ここには、壮大な王都建設を夢見て、その完成を待たぬままこの世を去った「ムーレイ・イスマイル」の遺体が安置されている。世界遺産「古都メクネス」の象徴でもあると言われる建物なのに残念!

 

Wikipediaを読んでいて、ムーレイ・イスマイルについて面白いエピソードを見つけた。彼は史上最も多くの子供を作ったことでギネスに載っているそうだ。その数は、1000人を超えるとも。

 

 

メクネスで見た植物。

 

さて、滅多に食事の写真を撮らないけど、タジン鍋は写真に撮っていた。

イスラム教の国なのに、テーブルの上にはワインらしき飲み物も・・。メクネス周辺は農業地帯、オリーブやブドウなどの広大な畑が広がっている。また、気候の良さと水の美味しさは有名だという。つまり、ワインの名産地でもあるのだ。レストランの多くは、ワインやビールを置いているそうだ。

 

因みに、どこだったか忘れたが、このような野菜を山盛りにしたタジン鍋も食べた。

 

 

メクネスの次は古都「フェズ」へ移動。

 

ロッコで初めてイスラム王朝を打ち立てたイドリス1世(ムーレイ・イドリス)、その息子イドリス2世は、フェズ川西岸に新しい都を建設した。やがて、ここを拠点に国の隅々までイスラム教が広がり、モロッコの中心として繁栄を極めることになる。

フェズ旧市街「フェズ・エル・バリ」は、世界一複雑な迷路の町と言われ、1981年に世界遺産に登録さている。

 

先ず最初に訪れたのは、フェズの「王宮」。入場は出来ないが、美しい王宮の門のみの見学。

王宮は新市街「フェズ・エル・ジェディド」にある。現在では、モロッコの国王がフェズに滞在する時に使用されるそうだ。

 

バスの車窓から撮った新市街にある「ユダヤ人街」↓。「メッラハ(又はメラー)」と呼ばれる。

小さなバルコニーがある点など、セビリアユダヤ人街を歩いた時に見た建物と共通点がある。ガイドブックによると、スペインで迫害にあったユダヤ人達がモロッコへ移住したのだそうだ。しかし、イスラエル建国に伴い、多くのユダヤ人はここを去ったそうだ。

 

フェズを一望できる丘(南側)へ。この丘からフェズの新市街、旧市街が一望できる。

旧市街の遠景。

丘で見かけた植物。

 

いよいよ迷宮都市フェズのメディナへ。

「ブー・ジュルード門」、メディナの入口にある最大の門。

鍵穴のような門の通り口に2つのミナレットが見える。「シディ・ルッザース・モスク」と「ブー・イナニア・マドラサ」のミナレット」↑。

 

この門の表面の装飾は、幾何学模様の彫刻や青色・緑色のタイルで彩られている。外側が青色、内側が緑色。

 

「ブー・イナニア・マドラサ」↓、14世紀にブー・イナニア王によって建てられたマリーン朝最大の神学校。

 

イスラム建築の美しく繊細な装飾には、いつもながらため息が出てしまう。細かく色鮮やかな「ゼリージュ」と呼ばれるモロッコのモザイクタイル、幾何学模様やアラビア文字の繊細な彫刻。これら全てが手作業だと思うと想像しただけで気が遠くなる。

 

「ブー・ジュルード門」から見えたミナレット。このミナレットの装飾も美しい。

 

その後、迷路を急ぎ足で歩いて行く。歩き終わった時は既に真っ暗になっていたので、きっと時間が押していたのだろう。私が撮った写真は全部ピンボケ・・。

 

(※写真素材サイトからダウンロードした写真で紹介します。)

狭い路地は車が通れない、そんな街ではロバが大活躍。

人が一人通るのがやっとの狭い路地もある。

このメディナの中は起伏もある。

 

予定に入っていた「ネジャリーン広場」の泉の写真もない。暗くて撮れなかったのかもしれない。

 

「カラウィン・モスク」↓、異教徒は入場不可なので、外から中を見るのみ。ところが、私達が着いた時間は扉も閉まっていて、覗くことさえ出来なかった。

 

そして、最後に「タンネリ」。革染色職人街のこと。タンネリに近づいて行くと、独特な匂いが鼻をつく。

職人さん達が染色桶の中に入って手作業で革を染め付ける。中世のままの方法だそうだが、なかなか過酷なお仕事だ。

 

急ぎ足で周ったフェズの観光は終わり、その日宿泊するホテルへ。

フェズの迷路は、夜は暗くて観光客が歩くのは怖い。私達のように複数人で歩いていても、ちょっとよそ見でもしたら、はぐれてしまいそうだ。

後で分かったことだが、最後尾に地元のモロッコ人(アシスタント)が着いていてくれた。そんなことにも気づかず、ただひたすら前を見て遅れにないように着いて行ったのを覚えている。

 

 

ホテルは見晴らしのいい場所にあった。

ホテルの部屋のバルコニーから撮った夜景。実は、まだ陽が昇る前の早朝の景色。

朝、ホテルにいた猫ちゃんたち。モロッコでは、よく猫の姿を見かけた。野良猫だろうか? このホテルにも数匹いた。いずれにしろ、ホテルのテラス席の椅子に平然と座っている猫がいる、そんなモロッコの大らかさというか緩さというか、そんなところが私は嫌いじゃない。

 

その日は、モワイヤン・アトラス山脈の中腹にある町「イフレン」へ。そして、この日の宿泊地となる砂漠への入口「エルフード」へ。

 

「イフレン」の街は標高1650m、夏が暑いモロッコにおいて格好の避暑地だそうだ。モロッコがフランス植民地だった頃、保養地として建設され別荘地となった。木々の種類や家並みを見ると、ヨーロッパのどこかの街へ迷い込んだような錯覚を覚える。

 

ほんの一部だけを散策。

 

この後、バスは高原や渓谷をひたすら走って行く。白いテントは遊牧民のテントだそうだ。

 

途中の「ミデルト」という小さな町で昼食をとった。「ホテル・カスバ・アスマ」のレストラン。名前のとおり、まるでカスバのような建物。

ここでは鱒料理やモロッカンサラダがテーブルにいっぱい並んでいた。ところが、私は車酔いをしてしまって、あまり食べられなかった記憶がある。とっても美味しそうだったのに残念!

この旅では動画を撮っていたので、動画から切り取ったレストランの写真。

 

昼食後は、この日の宿泊地「エルフード」のホテルへ向けて出発。「エルフード」の街はサハラ砂漠への入口であると同時に、この地域の中心的なオアシスでもある。

 

木が一本も生えない土と岩の山ばかり、そしてモロッコで初めて見た水の流れる川、それらの山や川がつくり出す渓谷が続く。ここは「ズズ渓谷」と呼ばれる。そして、僅かに水が流れる川はズズ川。

 

しばらく赤茶けた土色の世界を走っていると険しい山が少なくなり、谷間にオアシスが現れた。

眼下にはナツメヤシの林だろう、その緑が広がる景色を見るとほっとする。

 

民家から立ち上る煙は、時間的に夕餉の支度だろうか?

 

 

エルフードのホテルへ到着。

民族楽器の生演奏を聴きながら夕食。

 

 

翌日は早朝から朝日鑑賞のため砂漠へ。

 

 

この先は、③で紹介します。