yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

エキゾチックで多彩な魅力をもつ国 モロッコ③

サハラ砂漠からワルザザート

 

エルフードのホテルから、翌早朝、砂漠の町「メルズーガ」へ向けて移動。4WDで移動だったような・・。

 

いよいよ憧れのサハラ砂漠へ。「メルズーガ」は人が住んでいる場所から比較的容易にサハラ砂漠へ行ける場所なのだそうだ。

 

砂漠に昇る日の出を見るために、暗い内から懐中電灯で足元を照らしながら歩く。ここはラクダさんが待ち構える場所だろうか、とにかく辺り一面真っ暗!

ラクダに乗って行く人もいるが、私と友達は徒歩を選択。

丈の長い衣装を纏っている人達はベルベル人。彼らはラクダ引きだと思っていたら、歩いて行く人達にもぴったりと着いて来る。歩き慣れない砂丘を歩く際に、手を取ってくれたり、時にはカメラのシャッターを押してくれたり・・。もちろんサービスではなく、後でしっかりチップを要求される。

私と友達の間にも、いつの間にか一人のベルベル人が入り込んで来て二人の腕を取った。彼は慣れたもので、片言の日本語か英語で話しかけてきた。

慣れない砂丘をズブッズブッと沈みながら歩く私達に比べ、彼らは固い地面を歩いているかのように容易く歩いて行く。不慣れな私達の腕をしっかり支えてくれたので、随分助けられた。

 

添乗員さんが「今日は残念ながら雲が掛かっていて朝日は見られません。」と言っていたが、東の空の雲間に昇る朝日が徐々に顔を覗かせてきた。

 

朝日に照らされている方面はこの明るさ。

 

サハラ砂漠に昇る太陽を見ることが出来るなんて夢のよう。少し雲が多いけれど、十分に美しく見応えがある。

あの砂丘の向こうは、アルジェリアとの国境が近いのだろうか?

 

絵になる光景。

 

ベルベル人の彼にこんなポーズをとらされた。

 

ここでモロッコ人の衣装について。丈の長い服を着ている人が多いが、それは「ジュラバ」というモロッコの民族衣装。フードが付いており普段着として着用される。

 

ヴォルビリス遺跡で動画を撮った際に、現地ガイドとアシスタントの後ろ姿をとらえることが出来た。黒いジュラバを着ている人が現地ガイドさん。縦縞模様の人は遺跡でのアシスタント。

先の尖ったフードを被るとこんな感じ↓。モロッコに来て最初にそんなモロッコ人達(特に男性)を見た時は、ちょっと衝撃的だった。そして、何かに似ている・・、そう『ゲゲゲの鬼太郎』のネズミ男のスタイルにそっくり!

 

それから、ベルベル人について。彼らは、北アフリカに4000年以上前から住んでいる先住民族。アラビア人がモロッコを侵略した後、ベルベル人は農村地帯に追いやられ、山や砂漠などの都会から遠く離れた場所で生活してきた。

 

砂漠で撮った動画に映っていたベルベル人↓。スカーフを首に巻いているが、風の強い日には頭にぐるぐる巻きにして砂除けにする。

私もイスラム女性のようにスカーフを頭から被って行った。ところが、この日は幸い風がなく穏やかな日だったので、砂丘を歩いていると汗ばんでくるほどだった。

スカーフですっぽり頭や顔を覆ったベルベル人。これは単なる砂除けだけでなく、強い日差しや乾燥を防ぐ効果もあるようだ。

ベルベル人にルーツをもつ有名人に元サッカー選手ジネディーヌ・ジダンがいる。彼はフランス生まれだが、両親がアルジェリア出身のベルベル人だそうだ。

 

 

砂漠の中のカスバ、ホテルかな?

 

後ろに宿泊用のテントが集まるキャンプ地が見える。私の微かな記憶では、私達もテントの中でミントティーを頂いたか朝食をとったような気がする。

 

 

さて、この日は「カスバ街道」を走り、「トドラ峡谷」へ立ち寄り「ワルザザート」へ向かう。

 

カスバ街道」とは、ワルザザートからティネリールを経てエルラシディアを結ぶ東西のルートを言う。この街道沿いには、かつてベルベル人が日干しレンガで造った大小の「カスバ」が多く残っている。

 

「カスバ」と聞くと、私は『カスバの女』という歌を思い出すだけだったが、この旅行で初めてどんなものか理解できた。

このカスバ街道沿いに多く見られる「カスバ」とは、城壁で囲まれた城砦や邸宅のこと。また、村全体を外敵から守るために築かれたカスバの集落のことを「クサル」という。クサルの代表が有名な「アイト・ベン・ハッドゥ」である。

 

 

この日、最初に立ち寄ったところは「カナート」(モロッコでは、ハッターラと呼ばれる)。地下水路のこと。地下水を長い地下水路によって集落近くまで導き利用するもので、乾燥地帯に見られる水利施設。

井戸のような縦穴は地下に水路を延ばすために掘った穴。

 

等間隔に並んだ盛土は縦穴を掘った跡。つまり、縦穴に沿って地下水路が延びているということだ。

 

実際に地下へ降りることが出来たようだ。誰か降りてみた人いたのかな?

私は、この近くにアンモナイトの化石が売り物として置いてあったのが気になっていた。化石はこの砂漠地帯では沢山採掘されるようだ。日本だったら博物館に置かれる物が、道路脇に無造作に売られていたような印象が・・。この後のお土産屋さんにも、「砂漠のバラ」や様々な化石が売られていた。

 

 

「トドラ峡谷」へ行くまでに見られたティネリール近郊のオアシス。

山の麓辺りにも日干しレンガで造られた建物が見えるが、山肌に溶け込んで分かりづらい。既に廃墟と化したカスバのようだ。

 

 

「トドラ峡谷」へ到着。

途中、「のりこハウス」と呼ばれる日本人のゲストハウスを添乗員さんが教えてくれた。ちょうどTV番組で見たばかりだったので、それ程驚きはしなかったけれど、世界中いろんな所に日本人が住んでいるんだなと改めて感心した。

 

このホテル・ヤスミナで昼食。

 

「トドラ峡谷」は、カスバ街道沿いの町ティネリールから北東へ10㎞ほど行ったところ。切り立った岩壁は、幅10mほどの谷底から両側とも160mの高さで聳え立っている。その光景は圧巻! 

また、「ロッククライマーの聖地」としても知られている。この日はクライマーの姿は見えなかった。あるいは、あまりにも小さくて分からなかっただけかもしれない。

 

 

 

再びカスバ街道へ向かう。ティネリールのトドラ川沿いのオアシス。

 

 

山肌に書かれたアラビア文字。場所によるかもしれないが、3つの単語が書かれている場合、それは、「God Country King」を意味するとの情報もある。

星の形はモロッコの国旗を表すのだろう↓。つまり国を表しているのかな? 他の2つはチンプンカンプン。

 

ここは、ダデス峡谷への入口の町「ブーマルン・ダデス」。

 

この辺りから更に西へ行くと、バラの栽培で有名な「エル・ケラア・ムグナ」がある。そこだったと思うが、ローズオイルなど売るお店に立ち寄ったような記憶がある。

 

スコーラという町にある「ベン・モロのカスバ」↓。カスバ街道に数多くあるカスバの中で最も美しいと言われている。西日を受けて輝き均整のとれた姿は、確かに美しい。現在では、ホテル兼レストランだそうだ。子供達が楽しそうに遊んでいる。

 

 

ワルザザート」のホテルに到着。

 

翌朝のホテルの中庭、ここでも猫ちゃんのお出迎え。

 

 

この後は、④で紹介します。