南北に細長いベトナム縦断の旅②
ベトナムの古都フエ~ホイアン
※ベトナム中部は、2015年に行ったベトナム中部(ダナン)旅行と写真・内容が重複します。
ハノイから国内線でフエに移動し、最初に向かった観光スポットは「ティエンムー寺院」。
この寺は1601年創建。フエの郊外にありフォーン川沿いの丘の上に立つ、フエで最も古く美しい寺院。
「トゥニャン塔(慈悲塔)」、八角形・七層の塔で「幸福と天の恵み」を意味するそうだ。この塔はフエのシンボルとして人々に親しまれている。
「六角碑亭」(左)と「六角大鐘楼」(右) 大鐘はその音色がフエの街まで聞こえるという。
「ダイフン殿」への入口、中国風の門。
「ダイフン殿」、釈迦を祀った本堂。
「ダイフン殿」を背にして「トゥニャン塔」を見た写真。
この寺には天女伝説があり、寺の名前は「天姥寺(ティエンムー寺)」と漢字表記される。
ある一人の老婆が『いずれ支配者がここに現れ、大きな塔を建てるだろう』と予言した。実はその老婆こそ天女で、その天女を記念してこの寺が建てられたそうだ。
その天女が門の上に祀られている。↓
実は、この寺院の一番の見所とも言うべきものがある。それは、この寺の住職が使った水色の車(オースティン)↓だ。
二回の訪問で、どちらもガイドの説明がなかったような気がするが・・。
ベトナム戦争中の1963年、この寺の住職が仏教徒に対する高圧的な政策に抗議して、サイゴン(現ホーチミン)の米国大使館前で自らガソリンを被って焼身自殺をした(奥の写真パネル)。
その事件はベトナムだけでなく世界中に大きな衝撃を与えた。その時にサイゴンまで乗って行った車がこの水色の車だそうだ。また、燃え盛る炎の中でも姿勢を崩すことなく、身体は焼け落ちても心臓は形を保ったという。その心臓のパネルも展示されている。
境内で見かけた僧侶達。
この寺の入口付近で小鳥を売る女性。
この小鳥は参拝者が買って放つためのもの。仏教では「放生」と言い、捕らえられた鳥を放してやることによって功徳を積むことができるとされている。
2015年の時は、寺院前のフォーン川の「ドラゴンボートクルーズ」にも乗船した。
次に向かったのは、フエ中心部の「阮朝(グエン朝)王宮」。
フエを首都としたベトナム最後の王朝、阮朝(1802年ー1945年)の王宮。ベトナム戦争で大半が破壊されたが、現在は修復が進み多くの建築物が往時の姿を見せている。フエを象徴する観光スポットである。
内堀の外側にある「フラッグタワー」と「大砲」。
「王宮門(午門)」。
コの字型の門には5つの入口があり、身分によってそれぞれ通る入口が決まっていた。女性達は、たとえ皇后であってもこの門を使用できなかったそうだ。私達はその門から王宮へ入る。
午門を抜けると、「太和殿」が見えてくる。正面奥の建物が「太和殿」。
「太和殿」までの両脇に蓮池がある。
「太和殿」の内部は撮影禁止。阮朝王宮は、中国の紫禁城をモデルに造られたと言われている。この太和殿もそのまま規模を小さくしたような建物だ。
「太和殿」の前には、官吏の階級(正一品など)によって整列する位置を決めた石碑が立っている。
太和殿を抜けると、左右に「右廡」・「左廡」がある。高級官吏の詰所だったところ。
太和殿から先は王宮内部の紫禁城エリアで、皇帝の政務や生活をする区域。主要な建物が南北一直線に並んでいたが戦禍で失われ、今は建物を結んでいた回廊のみが残っている。
「八角亭」という東屋を望む。
「顕仁門」、この門を出て王宮を後にした。
次は「カイディン帝廟」へ。
1920年から11年かけて造られた第12代皇帝カイディン帝の廟。西洋風の建築で芸術的にも優れた廟は、他の歴代皇帝廟とは異なった趣がある。
下から「碑亭」を見上げる。
「碑亭」と「石像」。階段を上ったところに馬やゾウ、役人の石像が廟を守っている。
霊廟↓
霊廟内の「カイディン帝像」、金箔が施された像の下深くに皇帝の遺体が安置されているそうだ。
天井には九龍が描かれている。
壁面は華々しく彩られたモザイク装飾。中国の陶器や日本のビール瓶などの破片が使われている。
カイディン帝の遺影。
2015年の旅行では、「トゥドゥック帝廟」の見学もした。
1864年から約3年かけて造られた第4代皇帝トゥドゥック帝の廟。ここは野鳥のさえずりが聞こえ、静かで穏やかな雰囲気が漂う場所。別荘として建てられたと言われている。
門を入ってすぐに大きな蓮池がある。
「碑亭」、皇帝の功績が書かれた石碑が置かれている。碑文は自らが書いたものとのこと。
古都フエの市街地や郊外には、王宮・寺院・皇帝廟など数多く残されており、その一部は「フエの建造物群」として、1993年にベトナム初の世界遺産に登録された。
次の観光スポットは「ホイアン(会安)」。
「ホイアン」はダナンの南に位置し、トゥボン川の三角州にできた沿岸都市。チャンパ王国時代からの古い港町で、アジアとインド・アラビア・ヨーロッパを結ぶ国際貿易都市として繁栄した。中国や日本の商人達も住み着き日本人町も造られていた。
この街はベトナム戦争では攻撃を受けなかったため、当時の様子が現在まで残っている。1999年、古い街並みはユネスコの世界遺産に登録されている。
「福建会館」、福建省出身者の集会所。
金山寺と書かれているが、その下には篆書体で「福建会館」と書かれている。
中国建築独特の細やかな装飾が施されている。
館内には、中国寺院によく見られる大きな渦巻き状の線香がぶら下っている。
福建省出身者の多くが信仰する天后聖母が祀られている。
こちらは「廣肇会館」、中国の広州と肇慶出身者の集会所。
このような同郷人の集会所は他にも多く見られる。
ホイアンの目抜き通りにある「貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)」。
沈没船から引き揚げた遺物など数多くの品が展示されている。日本の有田焼なども展示されていた。残念ながら展示品の写真を撮ってなかった。
二階建て民家をそのまま博物館にしていて、屋根のない中庭がある。
建物は奥に長い造りになっている。
2階のテラスから下のチャンフー通りを眺める。
日本の建築様式も取り入れているらしい。そのためか、黒塗りの柱や梁、また奥に細長い造りなど、日本の町屋造りを彷彿とさせる懐かしさを感じる。
チャンフー通りを西に真っすぐ進むと、「来遠橋(日本橋)」に行き着く。
1593年に造られた屋根付きの橋。2万ドン札にも描かれているベトナムを代表する観光名所のひとつ。当時、日本人によって架けられたと考えられ、頑丈な造りになっているそうだ。
橋の中には小さな寺も造られている。来遠橋と書かれた扁額の下が寺の入口。
この橋を境に内側(東側)に日本人町、その反対側(西側)に中国人町があったと言われている。
昔の写真が展示されていた。今と殆ど変わらない来遠橋と町の風景。
来遠橋から南側の風景。
ホイアンの旧市街は徒歩でも巡ることが出来るようだが、私達はシクロ(自転車タクシー)に乗って街巡り。
トゥボン川沿い。
素敵なカフェもたくさんある。でも、カフェはどこも欧米人でいっぱい!
「ホイアン市場」(2015年)
近くに「ホイアン布市場」もあった。
「伝統音楽コンサートと手工芸品ワークショップ」、ちょうど何かを開催中。
「ホイアン」には美味しい食べ物も多い。ホワイト・ローズ、揚げワンタン、カオ・ラウ等どれも絶品。ホワイト・ローズは米粉の皮にエビのすり身を詰めた蒸し物。白いバラの花のようで綺麗。また、カオ・ラウは日本の伊勢うどんがルーツだそうだ。『SAKURA』というお店で食べたカオ・ラウがとても美味しかった!
夕暮れ時になると、ホイアンの街はランタンに明かりが灯りとっても綺麗! このようなランタン等を売るお店がトゥボン川を渡った先にたくさん並んでいた。
この後は、③で紹介します。