異国情緒漂う厦門と福建土楼を訪ねる旅④
すぐそこは台湾・金門島
この旅4日目、帰国日。
午前中、厦門島南海岸にある「南普陀寺」へ。
「南普陀寺」は、唐代に創建された1000年以上の歴史を誇る仏教寺院。度重なる破壊に遭い再建を繰り返してきた。中華人民共和国になってからは、文化大革命後に再建されたそうだ。1925年には、国内で最も早く僧侶の教育機関「閩南仏教学院」が併設され、運営されている。
厦門から多数の華僑が海外に渡った歴史から、多くの在外華僑の信仰を集めている寺院だそうだ。
広大な敷地に、「天王殿」、「大雄宝殿」、「大悲殿」、「蔵経閣」が連なり、見事な堂塔伽藍で構成されている。
「天王殿」↓
背後に聳える山は「五老峰」。
天王殿の入口前にある「放生池」↓ 池の向こうに見えるのは「厦門大学」の建物。
「厦門大学」は、集美学村を創った厦門出身の華僑・陳嘉庚が創設した大学。中国南東地域において、最も学術レベルが高く、優れた総合大学として知られている。
「魯迅」が一時期教鞭を執っていたことがあり、彼が使用していた部屋は「魯迅紀念館」として公開されている。
池の畔に立つのは「万寿塔」。(左)
「大雄宝殿」↓ 南普陀寺の本堂に当たる建物。中には、金色に輝く「阿弥陀仏・観音菩薩・大勢至菩薩」などが安置されている。
たくさんんの中国人参拝客が訪れている。
金ぴかの韋駄天の前で、長い線香を掲げて祈る人々。これは、「天王殿」の裏側に当たる場所だそうだ。
「鼓楼」↓
小高い丘の上に建つ「大悲殿」↓。 中には、千手千眼観音菩薩像が安置されている。オレンジ色の袈裟を着た僧侶の姿も見られる。
裏山の岩には、数多くの刻石が見られる。
右側の建物は「蔵経閣」↓。
大きな岩に刻まれた金色の「佛」の題字が見えて来た。
清代の僧侶が書いた、高さ4m・幅3mの「佛」の題字は有名だそうだ。迫力もある。
「南普陀寺」の裏山「五老峰」には、巨岩の間の階段を登って山頂まで行くことが出来る。結構きつい登山だそうだが、山の上からは、素晴らしい景色が見られるそうだ。
この後、厦門島の東海岸へ。すぐ沖合に浮かぶ「金門島(台湾領)」を望める場所。
そこに到着して、びっくり! 『一国两制統一中国』という巨大な赤い文字のスローガンが、海に向かって掲げられている。こんな大きなスローガンは、初めて見たかもしれない。これは対峙する金門島に向けたものだ。
この日は靄っていて、金門島は全く見えなかった。「胡里山炮台」では、微かにみえていたのに・・。この場所の方が近距離で、どんな感じに見えるのか興味があったのに、残念だった。ガイドさんは「晴れていれば小金門島が見えますよ。」と言っていた。
「金門島」は、中国側の福建省大嶝島から最短2キロ程しか離れていないという。この一帯は、中国と台湾の最前線に位置しているのだ。
実際に1958年8月23日には、厦門など中国本土沿岸部から、台湾側の金門島、小金門島に激しい砲撃を浴びせ、双方の砲撃戦が繰り広げられた。砲撃は40日以上続き、中国側から47万発もの砲弾を撃ち込んだとされる。※台湾では「八二三砲戦」という。
金門島の住人たちは何と、その砲弾から包丁を作り、「金門包丁」として島の名産品にしてしまったそうだ。
金門島の住人たちの逞しさには感服してしまいますが、二度とそんな事が起こらないことを祈るばかりです。
なお、2001年から金門島と対岸の大陸との交流が可能になっています。
(終)