yuanzi の徒然日記

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台湾五大豪族(五大家族)のひとつ 板橋林家を訪ねて

台湾五大豪族(五大家族)の一つ「林本源園邸」を訪ねて

 

ガイドブックには「板橋林家花園」と掲載されているが、正式名称を「林本源園邸」という。清代に建造された林家の邸宅と庭園の総称だそうだ。 

※「林本源」の本源は個人の名前ではなく屋号だそうです。

 

「林本源園邸」は台北市の隣の新北市板橋区にあり、台北駅からMRT板南線で簡単に行くことが出来る観光スポット。(2013年に訪問)

 

MRT板南線の府中駅で下車し、そこから歩いて向かう。

道路の向こう側に「往林家花園」↓というユニークな看板が見える。この日も雨降り、台湾ではよく雨に遭う。

 

少し迷ったが、何とか入口に辿り着いた。

意外に小さな入口。

 

入口の門を潜ると、真っ直ぐ伸びる長い通路がある。

ここを潜り、さらに先へ進む。この通路の右手に「三落大厝」がある。

 

「三落大厝」(約880坪)↓ 1851年創建で、林家の最初期の邸宅。現在も林家が管理していて、決まった時間のガイドツアーのみ見学可能になっているそうだ。

また、のちに造られた「五落大厝」は現存していない。

 

長い通路を抜け、「林家花園」に入って行く。 

※写真は、ほんの一部の建築物や人工池のみです。なぜか各建物を正面から撮った写真が少ないので、分かりづらいかもしれません😭。

 

「林家花園」は、1893年に竣工された。中国本土の蘇州にある「留園」を模倣した設計で、大陸から技術者を呼び建材を運んで建造されたそうだ。台湾に現存する庭園および建築としては、最も保存状態が良好で、台湾政府により国定古蹟に指定されている。

 

最初に入ったところは「方鑑斎」↓。かつて読書室として使われ、平時は詩の吟唱や唱和を嗜む場所であったそうだ。また、池の水面上に舞台(戯亭)が突き出していて、来賓など迎えた際には、池の向こう側にある看亭や周囲から水面を隔てて観劇を楽しむ造りになっている。

この池の水は翡翠色と表現される。確かにそんな写真も見られるが、私と夫が行った時はこんな色だった😢。季節にもよるのかな?

 

次は、「來青閣」(右の二階建ての建物)。来賓の招待所、宿泊所として使われた。その前に東屋のような建物がある。

その東屋の中に『開軒一笑』↓と書かれた扁額が掛かっている。実は、この建物は「戯亭」(舞台)だそう。来賓や林家の人々が観劇を楽しむ場所だったようだ。

正面の透かし彫り装飾が美しい。よく見ると動物も彫られているように見える。その下の朱の文字は「寿」かな?

地面に無数の根を張ったガジュマルの木。後ろに見えるのが「來青閣」の建物。

「林家花園」の建物や塀には、透かし窓がよく見られる。「來青閣」の塀にも見られる。それぞれの形に意味があり、それも見所の一つだろう。

 

これは來青閣の戯亭から見た建物だと思うが・・・、「方鑑斎」の建物かな?

 

來青閣の先にある橋「横虹臥月」。この橋の内部は、洞窟のようなトンネルになっている。

ここを潜ると「香玉簃」がある。建物は小さいが、その前の広い庭には、かつて様々な花が植えられ花卉観賞の場所だったそうだ。写真には撮っていない。

 

この白い壁で囲まれた建物(左)は「定静堂」↓。来賓をもてなす宴会場として使われた。林家花園では最大の広さで、中庭を備えた四合院式建築。

白い壁には、「賜福」(福を授かる)象徴として蝙蝠の透かし窓「漏窓」がある。右側に蝙蝠の透かし窓が少し確認できる。

 

この他に、書庫であった「汲古書屋」、池のそばにある眺望台「月波水榭」、「観稼楼」などがあり、「林家花園」は多数の建築物や人工山水で構成されている。台湾四大名園(または三大名園)の一つとしても知られている。

 

 

ここで、台湾五大豪族(五大家族)について:

「台湾五大家族」とは、清朝の頃に中国大陸から台湾に移住してきて、清朝末期から日本統治時代ごろ財を成した五つの豪族のことです。

その五大家族は、

  基隆・顔家

  板橋・林家  

  霧峰・林家  

  鹿港・辜家  

  高雄・陳家 

の五つの豪族を指します。

 

日本統治時代を通して日本との関りも深く、また、この五大家族の中には、その子孫が日本でも活躍している人達がいるのは興味深い。

その例として、基隆の顔家は、九份一帯において金鉱ビジネスで財を成した。日本の歌手「一青窈」さんと、歯科医師であり作家の「一青妙」さん姉妹は、この顔家出身だ。このお二人が台湾人と日本人のハーフであることは知っていたが、「一青」という珍しい姓が日本人のお母さんの姓だということを初めて知った。

※因みに、台北ナビの「林本源園邸」の紹介記事は、一青妙さんが書かれています。

 

九份の阿妹茶楼↓

九份といえば、ノスタルジックな街並みと赤提灯が似合う茶楼ばかりが印象に残るが、元は金鉱の街として栄えたのだ。ゴールドラッシュの時代、九份にはいくつもの金採掘の坑道があった。

ちょっと分かりづらい写真だが、今でも九份に残る坑道跡↓。(2009年に撮影)

 

その他に、五大家族出身者で、たまにTVで見かけるエコノミストの「リチャード・クー」さんは鹿港・辜家の出身だそうだ。

また、俳優の「朝井大智」さんは、霧峰・林家の出身。私はこの俳優さんを知らなかったが、NHKのドラマ『路~台湾エクスプレス~』に出演していたようだ。でも、ドラマを見ても、どの人が朝井大智さんか分からない😭。彼のお父さんが霧峰・林家の人で、お母さんは日本人だそうだ。

 

さて、厦門のコロンス島で見た「菽荘花園」は、台湾の富豪「林爾嘉」によって造られた。この林爾嘉は、まさに板橋・林家の人だ。コロンス島の「菽荘花園」↓

板橋・林家の三代目の林維源が林本源の族長となり、この頃、林本源は頂点に達した。ところが、(私が調べたところによると)日清戦争(1894ー1895)直後に、林維源は日本国籍になるのを嫌って家族とともに台湾を離れ厦門に逃れた。林爾嘉は、この林維源の息子(養子)だそうだ。

林爾嘉は年月が経つとともに郷愁の念が強くなり、板橋の花園に似せた花園、つまり

「菽荘花園」を造ることにしたと言われている。

 

 

「林本源園邸」を訪れた当時は、大した知識や情報がないまま行ったので、今思えば、時間を掛けてじっくり見学すれば良かったと思います。

(終)