異国情緒漂う厦門と福建土楼を訪ねる旅③
巨大な集合住宅 福建土楼
この旅の3日目は、厦門から福建土楼がある福建省潮州市華安県の「大地土楼群」へ。
「福建土楼」は、福建省南西部の山岳地域にある。かつてこの地に流れて来た「客家人」やその他の人々が建造した、防衛できる大型集合住宅である。「客家土楼」とも呼ばれる。
これらの土楼は、厚い土壁(180cm以上)と木の骨格から成り、12~20世紀にかけて建てられたものが殆どだそうだ。
2008年7月に福建省にある6土楼群および4棟が「福建土楼」としてユネスコの世界遺産に登録された。
一度は見てみたいと思っていた「福建土楼」。でも、福建省の山間部にあっては、行くことは無理だろうなと思っていた。それがツアーでも手頃な料金で行けるようになった時は、いい時代が来たなとしみじみと感じた。
さて、私達が訪れた世界遺産「大地土楼群」は、厦門から比較的近い土楼群だと言われているが、片道約3時間掛かる。バスで山間の道を走り、結構遠かったという印象だ。
その道すがらバナナがたくさん売られていた。現地ガイドさんがバスから降りて、大きなバナナの一房を買い、私達に一本ずつ配ってくださった。その土地で熟したバナナは、とても美味しかった!
現地に到着し、最初に目指したのは「二宜楼」という円楼。その途中に見られる住居。外壁に装飾された模様が綺麗で、この住居もちょっと覗いてみたい気がする。でも、ここは通り過ぎる。
こんな山間の村。
バスを停めた場所から、ぞろぞろと歩いて行ったようだ。
ド・ド~ン!と視界に入ってきた巨大な円楼「二宜楼」。隣の建物に比べてもその大きさに圧倒される。
福建省はお茶の産地、周囲には茶畑が広がっていた。
「二宜楼」の建物下部は花崗岩を積み重ねて造られ、人の背丈以上の高さまで積み重ねられている。
この巨大な円楼は、蒋氏により1740年から約30年の歳月を費やして建造された。今も蒋氏一族が暮らしている。最も多かった時は、約300人が一緒に暮らしていたそうだ。
外側の円楼は4階建て、内側は1階建ての二重円楼構造になっている。外側の円楼は、直径約73m、高さ16m、各階に48部屋を有する。部屋は垂直に分割されて別々の世帯の家になっており、階段は個々の区分の中に専用の階段を持っている。
中庭から外までの距離が長い。
上から見た中庭と円楼。
中庭には二つの井戸がある。
4階(最上階)には、外壁と部屋の間に隠し通路があり一周できる。4階の窓から外の景色を眺めたところ。
長閑な風景が広がっている。通常最上階には、盗賊を防御するため「狭間」が空けてある。この二宜楼にもあったのかな?
「客家人」について:
歴史上、戦乱から逃れるため中原から南へ移動と定住を繰り返していった人々で、原則漢民族である。(※台湾にも多くの客家人が在住し、台湾旅行のブログでも触れた。)
ほとんどの家に古代からの族譜があり、祖先信仰が強く、風習も頑なに守ってきたため、周囲から隔絶されて発達した客家語を話す。そのような客家の人々が、移住先では先住者から見て”よそ者”であるため、「客家(はっか)」と呼ばれるようになった。
天井部分に彫刻の装飾が見られる。
この二宜楼には、壁画や精巧に彫られた彫刻が土楼内部に見られる。残念ながら、そんな箇所の写真が殆どない😭。
円楼の周囲の風景。
円楼の周りを歩いている時に、あるオバアサンが近寄って来て、何やらぺらぺらと話し掛けてきた。彼女の話す言葉は、さっぱりチンプンカンプンで理解できないし、皆目見当もつかない。
「すみません、私は日本人です。聞いて理解できません。」と片言の中国語(普通話)で言ってはみたが、彼女は益々ぺらぺらと喋り出した💦
困り果て、ふと思い出した台湾語(閩南話)で「日本人(ジップンラン)」と言ったら、「あ~、日本人(ジップンラン)・・。」と納得したように答えてくれたのだ。
日本人と聞いて、彼女がどう思ったか分からないが、とにかく通じて良かった~!
この「日本人(ジップンラン)」という言葉は、当時私が知っていた唯一の台湾語。標準語である普通話では、「日本人(リーベンレン)」という発音で全く違う。
(注)中国語の発音は、正確にカタカナ表記できません😢
そして、夫が身振り手振りで写真を撮ってもいいかと尋ねると、彼女の方から直ぐに私の横に来て、写真に収まってくれた。とっても可愛い感じのオバアサンだった。
それから帰国後に、たまたま見たTVの紀行番組で、偶然この「大地土楼群」が紹介されていた。その時に「二宜楼」の中庭で皆と一緒に食事をしているこのオバアサンが映っていたのだ。
「あっ、あのオバアチャンが映っている!」と、夫と私は大興奮だった。
当時は、このオバアサンは当然「客家語」を喋っていたと思っていた。そして、彼女が福建省南部で話される「閩南話」も理解できたのだろうと推測した。
というのは、「福建土楼」を建造したのは客家人で、客家の一族が住んでいると思い込んでいたからだ。
ところが調べていくうちに、客家ではない地元の人々も多く土楼に住んでいることが分かり、この「二宜楼」の住人・蒋氏一族も地元の人だと分かった。
つまり、彼女が客家語ではなく閩南話を話していたんだと今になって分かった。長年の疑問が解けたようですっきりした。
この土楼の付近で見た黄色い竹。
「大地土楼群」には、四角い土楼(方楼)もある。
「東陽楼」と呼ばれる2階建ての方楼。この土楼にも人が住んでいる。
幼い子が、私達にポーズをとってくれた。可愛い!
中に入ると、生活感が漂う洗濯物が目に入る。
奥まった所で、男の子が何か作業をしている。何をしているんだろう?
私達が行った時は世界遺産に登録されたばかりの頃で、まだお土産物を売る人は見なかった。今では商業化が進み、土産物を売る光景が多く見られるそうだ。
2階に上がってみる。
中庭を見下ろす。
1階入口の辺りで、お茶を淹れている女性がいる。
次は、二宜楼より小さい円楼「南陽楼」へ。現在この土楼には人が住んでいなくて、博物館として公開されている。
この円楼には、最上階に「狭間」(矢や鉄砲を発射する小穴)が見られる。
中に入ると、世界遺産に登録された他の土楼群の写真が展示されていた。
この「南陽楼」は3階建て。
製茶道具が展示されていた。
2階に上がって、中庭と円楼を望む。
人形劇を演ずる舞台もあった。
この他にも様々な展示がされていた。
福建土楼に関してエピソードがある。
かつて、米中国交樹立前のアメリカ合衆国は、中国の衛星写真を解析した際、円楼の外見の形状をミサイルサイロと誤認し、中国大陸に大規模な核基地が建設されているのではないかとの疑念を、1985年まで抱いていたそうだ。<Wikipediaより>
確かに巨大で奇妙な円楼が衛星写真に写ったら、そんな疑いを持つだろう。
このような土楼(円楼や方楼など)と呼ばれる独特の集合住宅は、客家人全体の習俗ではなく、福建省の一部山間部の客家人だけに見られるもので、外部からの襲撃を防ぐために造られており、一族がまとまって居住している。広東省や香港では「圍」と呼ばれる、城壁のような壁の中に村を築く方法も取られている。
香港の新界で訪れた「上璋圍」。
「上璋圍」とは別の時に訪れた、香港の新界にある「吉慶圍」。
この後、厦門に戻った。
その後は④で紹介します。