yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

異国情緒漂う厦門と福建土楼を訪ねる旅①

亜熱帯の港町 厦門の観光

 

今回は中国福建省にある「福建土楼」と、福建省南部の港湾都市厦門(アモイ)」の旅です。(2008年12月)

 

 

日本から直行便で厦門へ。到着後、すぐに向かったのは「集美学村」。

 

厦門の中心は厦門島にある。「集美学村」はその厦門島の北対岸、大陸側の集美地区に位置する。ここは華僑のリーダー的存在であった「陳嘉庚」が、50年もの歳月をかけて建設した広大な敷地を誇る学園村である。幼稚園から大学までが揃い、厦門の教育の中心地ともいえる場所だそうだ。

 

その地区の海沿いにある「嘉庚公園」へ。

 

「陳嘉庚」は厦門市集美出身の華僑。シンガポールに移住し、マレー半島におけるゴム業で財を成した。「ゴム王」としてその名を知られ、胡文虎(タイガーバーム創業者)と並び、南洋華僑の巨頭と言われる。彼は集美学校厦門大学をはじめ多くの学校を創設したことでも知られる。

 

私達が訪れた「嘉庚公園」は、彼が1950年に厦門の解放を記念して造営した庭園である。

 

公園に入ると、すぐに見えてくる建物。中国南部の閩南様式の建物だそうだ。屋根の反り返りが特徴。

 

海に突き出た岬に向かって歩く。

ここは、この公園を造った陳嘉庚の墓がある「鰲園」。

回廊の壁に見られるレリーフ

「集美解放紀念碑」↓ ※「記念」は中国語では「紀念」と書きます。

「集美解放紀念碑」の金の七文字は、毛沢東筆だそうだ。

 

説明をする現地ガイドさん。

この前に墓碑がある。(写真には写っていません。)

 

紀念碑からの眺め。手前の「龍舟池」の向こうに楼閣が見える。集美中学の「南薫楼」だそうだ。

「龍舟池」では、毎年端午の節句に龍舟(ペロン)競漕が開催される。

中国建築の屋根が、みごとに反り返っている。

 

紀念碑から見えた集美中学の「南薫楼」↓

ここまで歩いて来たのだろうか? 全く記憶にない。屋根は中国風、下は西洋風の折衷建築。

 

「集美学村」には、小学校や大学などの教育施設の他に、嘉庚故居、紀念館など見所はたくさんあるが、私達が見学したのはこれだけだった。

 

厦門の夜景。夕食に行った先で撮ったのかな?

 

 

翌朝、ホテルの敷地内を散歩。

 

宿泊したホテルは「厦門悦華酒店」。マンダリンホテルとも呼ばれるこのホテルは、厦門島内のビジネス地区にあり、広大な敷地に建つホテル。

厦門市が経済特区になった当初、本格的な外国人受け入れホテルとして、政府指導の下に贅沢に造られたガーデンスタイルのホテル。

ツアーだったので、どんな価格帯だったのか分からないが、我々庶民でも宿泊できるお値段だったのだろう。

 

広大な敷地内にいくつもの宿泊棟が建っている。池などもあって、散歩やジョギングをするにもうってつけのホテルだ。

なぜか日本様式の戸建てヴィラもあって興味深かった。「一体どのような人が宿泊するのだろうか? 長期滞在する日本人のVIPだろうか?」 

・・などと想像していると、お手伝いさんのような女性が両手にレジ袋を下げ、その日本家屋へ入って行くのを見かけた。(夫と私が勝手に想像したので違うかもしれません。もしかしたら、宿泊客かも。)

 

ホテルのエントランス前だったと思う。街路樹の根元が白く塗られているのが中国らしい。

 

朝、街の散歩にも出掛けた。このホテル周辺は繁華街から少し外れているため、比較的静かな環境だったと記憶している。

そんな街をあてもなく歩いていると、古びた市場があったので入ってみた。よそ者にはちょっと入りづらい雰囲気だったが、思い切って入ってみると、市場の中は薄暗く裸の電灯が鈍い光を放っていた。

野菜や肉などが、商品台の上に所せましと並べられた状態で売られていた。野菜や果物ならよく見る市場の風景だが、肉類も台の上に直に並べて売られていた。冷蔵庫などの設備があるようには見えなかったし、場内に空調設備が整っているようにも見えなかった。それほど古びた市場だったのだ。

厦門は亜熱帯性気候に属している街。暑い時期はどうするんだろうか?

夫も私も無言で見て周り、早々に出て来たのを覚えている。外は近代的なビルが建つ街だが、一旦市場に入ってみると全く違った世界が・・。そんなギャップも中国らしいのかもしれない。

※2008年当時のことです。

 

この後は②で紹介します。