yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

美しい自然と街並みに癒される旅 ドイツ・オーストリア⑤

思い出のザッハ―・トルテ

 

ウィーンに宿泊した次の日は、ウィーン観光。

その一つ目が世界遺産シェーンブルン宮殿」。

 

庭園の向こうの丘の上には戦勝記念塔「グロリエッテ」。

 

宮殿内の見学もしたが、写真撮影が禁止。

 

この宮殿は、17世紀末にハプスブルク家の夏の離宮として建てられた。女帝マリア・テレジアや少女期のマリー・アントワネットもここに住んでいた。ハプスブルク家がフランスのベルサイユ宮殿を凌駕せんとして建てたと言われている。当初の計画より縮小されはしたが、とてもよく似ている。外観はバロック様式、内部はロココ様式だそうだ。また、外観の黄褐色はマリア・テレジア・イエローと呼ばれている。

モーツァルトが6歳の時、御前演奏したという「鏡の間」は、特に印象に残っている。

 

 

 

時期的に大きなイースターエッグが飾られていた。子供達の遊び場になっているようだ。

 

 

シェーンブルン宮殿の見学が終わって、ウィーンの中心部へ。

ウィーンの歴史地区は世界遺産に登録されている。

 

「国立オペラ座」↓ ヨーロッパ三大オペラ劇場のひとつ。かつて、小澤征爾氏が音楽監督を務めていたことでも有名。

 

「アルベルティーナ広場」

 

「シュテファン寺院」↓

800年以上の歴史を誇る、ウィーンのシンボル。ハプスブルク家の歴代君主の墓所である他、モーツァルトの結婚式、また葬儀が行われたことでも知られている。

 

この旅では教会の中に入らなかったが、以前に来た時は薄暗い聖堂内へ入った。ちょうどその時、楽団が演奏する場面(練習中だったかも?)に出会い、しばし聴き入ったのを覚えている。コンサートも行われることがあるらしいが、その時人は多くなかった。

 

教会内部も素晴らしいが、私は屋根瓦のモザイク装飾が印象深い。  ブダペストのマーチャーシュ教会の屋根を思い起こす。

 

その後はフリータイムになった。

 

「市庁舎」↓

 

「ブルク劇場」↓ かつての王室劇場で、現在もドイツ語圏の演劇界で最高権威を誇る劇場だそうだ。

 

その後、「ベルヴェデーレ宮殿」へ。

上宮と下宮の間に広がるバロック様式の庭園。建物の窓から写真を撮るべきだった。その眺めは、世界10大美景の一つに数えられるそうだ。

 

この宮殿は、ハプスブルク家重臣オイゲン公の離宮

ここに来た一番の目的は、グスタフ・クリムトエゴン・シーレのコレクションを観ること。特に、クリムトの代表作『接吻』を観ること。その絵は思っていたより大きく、クリムトの独特の世界に引き込まれそうだった。

 

その後再びリンク内へもどり、ハプスブルク家の居城であった「王宮(ホーフブルク)」↓ の見学。

この時は「シシミュージアム」を見学。シシは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベートの愛称。絶世の美女といわれ、フランツ・ヨーゼフは生涯愛し続けたと言われている。

ミュージアムで一番印象に残っているのは「化粧室兼体操室」だ。シシは背が高くスリムで、ウェスト50㎝だったとか。シシがその体型維持のため体操した体操器具が見られる。

 

「王宮庭園」にあるモーツァルト像。

 

これは「ミヒャエル広場」の真ん中にある古代ローマ時代の遺跡。

 

「ホテル・ザッハ―・ウィーン」↓

以前にも入ったカフェで、再び「ザッハ―・トルテ」とお茶を楽しんだ。

以前このカフェに木箱入りのトルテが売られていると聞き、また日本まで日持ちすると添乗員さんから聞いたので、私も買って持ち帰ろうと外からその場所を探した。真冬の夕方で真っ暗な時間帯だったので、何故か分からずじまいに終わった。

その時は、カフェには正面(オペラ座に面した側)の入口から入った。

その時のリベンジとまでは言わないが、もう一度本家本元の「ザッハ―・トルテ」を味わいたかった。

このトルテは甘すぎるという人もいるが、私はホイップクリームとの組み合わせが絶妙だと思う。満足!満足!

 

 

<ここで以前の旅でのエピソード>

友達とリンク内を歩いていた時、緊急事態発生(生理現象)! その場から近いカフェ「デーメル」に駆け込む。有名なこのカフェで、ついでにトルテを食べるという目論見もあったが、店内で順番待ちをする凄い数の人とその人いきれに圧倒された。

即諦め、次に入ったのは「ケルントナー通り」にあるカフェ。そこで一目散に目指すはトイレ!

ところが、ところが、・・このトイレのドアにはドイツ語表記のみ。英語表記もなければ、あの男女のマーク🚻さえない😓。でも、そんなこと迷う余裕さえない。

そして、勢いよく明けたドアには「Herren」。もう一方は「Damen」と表記。

 

どう見ても「Herren」が女性用に見えませんか

 

ドイツ語圏では、

「Herren」=男性用=(英)Gentlemen

「Damen」=女性用=(英)Ladies     

 

幸いなことに男性は一人もおらず、事なきを得たというお話。

別の表記方法もあり、頭文字のHとDしか表記してないこともあるそう。ドイツ語圏に行く時は注意しよう!

 

 

 

ウィーンの最後の夜は、「アウエルスペルグ宮殿」でコンサート鑑賞。

この宮殿は、まだ6歳だったモーツァルトが女帝マリア・テレジアの膝に飛び乗った場所として有名だそうだ。

「音楽の都」ウィーンで、こんな贅沢なひと時を過ごすことが出来て幸せ!

 

 

 

ドイツ・オーストリアの旅は、このウィーンが最後で翌日フランクフルト経由で帰国。

 

ところが、翌日ウィーンの空港でフランクフルトから搭乗予定のルフトハンザ航空がストのため欠航になることが分かり、ウィーンの空港で足止め状態になった。

チェックイン後だったのでスーツケースは手元に戻らず、そのままウィーン郊外のホテルに延泊。ホテルに着くや否や、地下鉄で中心部まで行き「ケルントナー通り」のH&Mで必要な衣類を購入。アメニティのセットはオーストリア航空が配ってくれた。

 

さて、旅行社が急遽取った手段は、翌日グループを3つに分けて帰国する方法だった。

1.ウィーン ⇒ フランクフルト ⇒ 上海 ⇒ 成田

2.ウィーン ⇒ フランクフルト ⇒ 上海 ⇒ 成田(添乗員同行で、1とは別時間)

3.ウィーン ⇒ フランクフルト ⇒ モスクワ ⇒ 成田

 

私は1のグループ、友達は2のグループ。どうも友達同士は、どの人達も分かれてしまったようだ。それは仕方ないとしても、モスクワ経由は乗り換え時間が少なく、モスクワの空港内で走らないと間に合わないという一番大変なルート。3のグループの人達はみな不安な面持ちだった。

せめて添乗員さんがそのグループに同行してあげたらいいのにと私は思った。

 

成田に到着すると、預け入れたスーツケースはロストバゲージ。でも翌日、無事自宅に届けられた。フランクフルトから中国系航空会社だったが、JALの職員がテキパキと対応してくれ、翌日届いたスーツケースにもJALのタグが付いていた。JAL便に載せられて届いたということだろうか?

 

いろいろなハプニングはあったけれど、この事態を楽しんでいる人も多く、これはこれで楽しい思い出になりました。

 

(終)