約3年8か月ぶりの海外旅行・韓国⑦
参鶏湯の有名店「土俗村」で遅い昼食
この日は前々から行きたかった「土俗村」で参鶏湯の昼食。ホテルから徒歩で向かいました。天気も良くなり「光化門広場」は、とても賑わっていました。何かしらの集まりやイベントがあったり、観光客や市民が思い思いにくつろいでいたり、さすがソウルの中心部という賑わいでした。
この将軍は「文禄・慶長の役」で活躍した朝鮮の英雄です。銅像の下側面には亀甲船のレリーフ。
「世宗大王像」↓
向こうに見えるのは、慶福宮の「光化門」↓
世宗大王はハングル文字を創製しました。
「光化門」前は工事中。
すでに時刻は午後3時過ぎ、日本より涼しいとはいえ気温は31、32℃はあったと思います。湿度もそれなりにあって、暑い・・💦 二人とも日傘を差して歩きました。なるべく木陰のある通りを歩こうと孝子路を歩いて行ったため、左に曲がる角を一つ間違えたようです。何人かの人に尋ねて「土俗村」に到着。趣のある韓屋のお店です。
熱々に煮込まれた参鶏湯は、注文してから意外に早く出てきました。ひっきりなしに来店するお客さんのために、注文前から作り続けているんでしょうか? 午後3時過ぎという中途半端な時間にもかかわらず、店内はほぼ満席状態。
店員さんは外国語を話せる人を雇っているのか、隣席の中国人のお客さんに流暢な中国語で接していました。
お味は濃厚でとても美味でした。さすがに老舗の人気店です。
この後、「慶福宮」の見学。西側の入口から入り、敷地内の奥の方を見学しました。
「慶福宮」は李氏朝鮮時代を興した李成桂(太祖)によって、1394年に建てられた王宮です。
この慶福宮やその周囲には、韓服を着た人達がとても多かったです。綺麗な刺繍が施されたものから現代風な色使いやデザインのものまで、本当に美しいものばかり。着てみたくなる気持ちも分かります。
でも中には、カメラマンと一緒に写真だけを撮りに来ている若い女の子もいました。そのカメラマンが色んな指示を出しポーズをとらせて、やりたい放題だったのでしょう。そのため、敷地内の監視員と思われる職員とカメラマンの間で口争いになっていました。
私が目撃したのは、皆が座るベンチに女の子を土足で立たせて、ポーズをとらせている場面でした。やはりこれはダメでしょ!
このカメラマンは注意され止めるかと思いきや、その注意を無視し、ぶつぶつ言いながらそのまま撮り続けていました。これもオーバーツーリズムと言うんでしょうね。
「慶会楼」↓ 国に祝事があった時に宴を催すために建てられた2階建ての楼閣。
時代劇によく登場する建物です。
「修政殿」を裏側から見たところ。
さらに奥の方に進んで行くと、池に浮かぶ島に建つ「香遠亭」↓があります。
池に蓮の花が咲いています。
「乾清宮」↓ ここは第26代高宗とその妃・明成(ミョンソン)皇后(閔妃)が暮らした場所。また、1895年、明成皇后が日本からの刺客により殺害された悲運の場所としても有名だそうです。
あの背後の山がいつも気になります。「北岳山」だそうです。慶福宮とよく調和しています。
「香遠亭」を違う角度から。
「国立民俗博物館」↓ 慶福宮の敷地内にあります。
敷地内に咲いていたお花。
この後、東側の三清洞ギルに出てホテルに戻りました。途中、歩き疲れて光化門広場のベンチに座ってしばし休憩。
この日は昼食が大分遅かったので、夕食はコンビニで買ったもので済ませました。からりと晴れた一日で良かったのですが、暑さで疲れも倍増といった感じです。北村マウルや明洞へ行く計画もなくなりました。バスタブに浸かって早めに就寝。お部屋の写真も撮ってなかったです。
⑧へつづく