東洋と西洋が出会う魅惑の国 トルコの旅①
エフェソス古代都市遺跡と歴史上の偉人たち
今回もテレビ番組を見ての旅ブログ。
先日、NHK BS『ハイビジョン特集 エジプト発掘(3) 妹を憎んだクレオパトラ』(再放送)を見た。番組の中には、エーゲ海沿岸にあるトルコの「エフェソス古代都市遺跡」が出てくる。
最初に放送されたのは、2009年8月だったようだ。私がこの遺跡へ行ったのは、2009年12月。でも、この番組を見たのは今回が始めてで、この番組に刺激されてトルコ旅行を決めたわけではない。
さて、番組のタイトルにあるクレオパトラとエフェソスとはどんな関係があるのかというと、それはクレオパトラの妹である「アルシノエⅣの墓」がこの遺跡で発見されたからだ。
旅行前に購入したガイドブックには、このことは載っていなかった。じゃ、旅行中にその説明があったのだろうかと気になり写真を見たら、あった! 私の記憶からはキレイに消え去っていたけれども・・。
※写真の背後の壁と屋根で覆われている所は、古代の高級住宅地の跡です。
中央のプレートが立っているところがその墓。原形を留めていないので、「えっ? これが墓?」と驚く。そのプレートの部分をズームしてみると、確かに「アルシノエⅣの墓」と書かれている。
「OKTAGON」と書かれているように、この墓は八角形の形をしている。その形からも、アルシノエの故郷エジプトのアレキサンドリアと深い関係があるようだ。
※「Octagon, tomb of princess Arsinoe Ⅳ, BC41」と書かれています。
クレオパトラというと、世界三大美女のひとり、妖艶な美女としてカエサルやアントニウスなど男性を次々に虜にしたというイメージだ。しかし、このクレオパトラ7世は、古代エジプトのプトレマイオス朝最後のファラオなのだ。王位を巡り妹のアルシノエとの間に内戦が起こり、結果的にアルシノエ側が負け、カエサルに捕らえられローマへ送られる。しかし、カエサルの恩赦を受けたアルシノエは死刑を免れ、エフェソスへ捕虜として送られ幽閉された。だが、アントニウスが実権を握ると、クレオパトラの意向により殺害された。
絶世の美女として知られるクレオパトラの肖像は、アントニウスが発行したとされるコインに横顔が残されているのみ。未だ墓も発見されていない。アレキサンドリアの宮殿は度重なる地震により海に沈んでしまった。
このように謎に包まれているクレオパトラだが、肉親である妹の墓はクレオパトラに繋がる重要な発見とされている。
※但し、遺骨の分析による年齢は、アルシノエの死亡年齢より若すぎるとの見解もあるようです。
さて、「エフェソス古代都市遺跡」の見学開始、南側ゲートから入る。
小高い山の裾野に沿って街が造られている。
最初に説明があった所は、「オデオン」。1500人収容可能な2世紀頃の小劇場。コンサート、劇、また会議も行われていたそうだ。
女神のレリーフの前で。
「ヘラクレスの門」↓ ここから先「クレテス通り」↓
「トラヤヌスの泉」、ローマ皇帝トラヤヌスに捧げるものとして紀元2世紀に建設された泉。中央にトラヤヌスの立像があって足元から水が流れ出ていたという。
ローマ式モザイクの床。
「ハドリアヌス神殿」。紀元2世紀に、ローマ五賢帝の一人であるハドリアヌスに捧げられた神殿。コリント式の4本の石柱、女神ティケやメデューサの彫刻も見ることが出来る。
「ローマ時代の公衆トイレ」、下には水が流れていたそうだ。
この後に「アルシノエⅣの墓」を見学した。この墓はクレテス通り沿いにあり、「ケルススの図書館」にも近い場所にある。
「ケルススの図書館」。20世紀初頭に発見され、1970年代に復元された。遺跡の中で最も壮麗な建物。アレキサンドリア、ベルガモンと並んで古代の「世界三大図書館」の一つ。ゴート族による破壊で炎上し、万単位の書物が失われたという。
正面一階にある4体の像(レプリカ)は、知識などを象徴するもの。
この図書館の正面に、なんと「娼婦の館」の跡がある。その位置関係が面白い! また、娼婦の館への道標(広告)が、この右側に延びる「大理石通り」に残されている。
図書館付近で見られる石棺など。
「大理石通り」から西側の風景。
「大理石通り」を歩く。
「娼婦の館への道標(広告)」、大理石通りの敷石に残されている。この足の向く先、左側にあるという意味だそうだ。女性やハートの絵も描かれている。
「アゴラ」を望む。
大理石通りを進むと、右手に山の斜面を利用して造られた「大劇場」が見えてくる。2世紀に落成され、24500人収容可能で圧巻のスケール。現在も時折コンサートなどに利用されている。
彼は、トルコ人ガイドさん↑
この大劇場の正面に真っすぐ延びる「アルカディア通り(港大通り)」がある。古代にはこの通りの先に港があって、エフェソスは港湾都市として発展した。現在は海岸線から5㎞以上も内陸に位置している。これは次第に沈泥が溜まったためである。
※この時、救急車が来ていました。
この港大通りから大理石通りは、クレオパトラとアントニウスが歩いた道でもあると言われている。
エフェソスの歴史は非常に長く、「世界七不思議」の一つである巨大な「アルテミス神殿」があった。今では円柱が一本復元されているのみだが、その壮麗さは古代ギリシャ時代世界最大といわれる。
また、聖母マリアが移住してきて余生を過ごしたとされる「聖母マリアの家」も残っているそうだ。
アレキサンドロス大王もこのエフェソスを訪れている。このように、クレオパトラ7世を始め数多くの歴史上の偉人たちが訪れたエフェソス。想像するだけでロマンを駆り立てられる古代都市だ。
ヘレニズム時代、古代ローマ時代、初期キリスト教時代の貴重な遺跡を数多く見ることが出来るエフェソスは、2015年ユネスコの世界遺産に登録された。
この旅行のスタートは到着地イスタンブールから始まった。翌日、ヨーロッパサイドからアジアサイドへ船で移動。
最初の観光スポットは、「トロイ遺跡」。ブラッド・ピット主演映画『トロイ』を見たことがあったので、この遺跡に興味があったと言いたいところ。でも、実際のところ戦争映画はあまり好きではないので、それほど期待はなかった。
トロイは、ホメロスの叙事詩『イリアス』で有名な古代遺跡。長らく伝説上の都市と思われていたが、シュリーマンの発掘により実在した都市であることが分かった。
この遺跡は、紀元前3000年頃から9回も造り直されてきた都市で、第1市~第9市と9段の層になっている。
先ず、目に飛び込んでくる「トロイの木馬」(復元)。中に入ることも出来る。
興味がなかったとは言え、映画にも登場する木馬を見た時はちょっと感動!
「トロイの木馬」とは、ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に出てくる巨大装置。トロイ軍とギリシャ軍の10年に及ぶ戦争で用いられ、この中にギリシャ軍の兵士が隠れて敵を欺いたことで、トロイ軍が陥落したとされる。
各層によるトロイの変遷を説明している図。
この図によると、第6市が「Homeric Troia」となっている。Wikipediaによると、第7市がホメロスの『イリアス』の時代だと書かれている。・・??・・。
世界最古の日干し煉瓦(左)、屋根で保護されている。
断面図。
高い所からは、エーゲ海が見えるとのこと。
「トロイの考古遺跡」として、1998年に世界遺産に登録されている。
トロイの翌日は、エフェソスへ。エフェソスの翌日は「パムッカレ」へと移動。
「パムッカレ」からは、②で紹介します。