yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

東洋と西洋が出会う魅惑の国 トルコの旅②

地方の景勝地からイスタンブールまで

 

エフェソスの次に訪れたのは「パムッカレ」。

パムッカレは、パムック=綿、カレ=城砦の意味を持つことから、“綿の城”と言われるトルコ有数の温泉保養地。真っ白な綿のような石灰棚と古代都市ヒエラポリスから成り立っている。1988年ユネスコ世界遺産複合遺産)に登録されている。

 

綿は古くからこの地方の名産品でもある。バスの車窓から一面綿畑が広がる光景も見られた。日本では殆ど見ることのない綿畑、興味深く眺めた記憶がある。私でも綿の畑と分かったということは、この時期でも白い綿が所々残っていたのだと思われる。

 

バスがパムッカレに近づくと、真っ白な丘陵が目に飛び込んでくる。遠くから見ると、まるで雪が積もっているかのように見える。そこが「パムッカレ」だ。

 

「パムッカレ」の見学開始。

 

隣接する「ヒエラポリス」の遺跡。

 

「ヒエラポリス」は、紀元前2世紀に建設された古代都市で、ローマ帝国時代には温泉保養地として栄えた。「ヒエラポリス」とは”神聖なる都市”という意味だそうだ。度重なる地震により廃墟となっているが、ローマ式劇場・ローマ式浴場などが残っている。

 

私たちは遺跡の見学が無く近くで見ることが出来なかったが、右手にローマ式劇場が見られる。

 

青みを帯びた白く眩しい石灰棚が広がる。

 

湯けむりが立ち上る光景。靴を脱ぎ、素足で温泉の中に入って歩く。

 

棚田のような石灰棚。

 

パムッカレに「アンティーク・プール」と言われる温泉プールのような施設がある。澄んだ温泉の中に崩れた遺跡の柱や土台がゴロゴロ沈んでいる。

 

 

 

その日は、トルコの内陸に位置する「コンヤ」に宿泊。

 

翌日、コンヤにある「メヴラーナ博物館」へ。

ここは、イスラム神秘主義メヴラーナ教団の創始者ジェラルディン・ルーミーの霊廟があり、メヴラーナ教団の総本山だった場所でもある。現在は博物館として公開されている。また、白いスカートを纏って回転して踊る「セマー」で有名だ。

 

13世紀末に建築されたターコイズブルーの尖塔がとても美しく印象的。私の目にはターコイズブルーに見えるが、近くで見るともう少し緑色を帯びたタイルが貼られているらしい。

 

メヴラーナの「セマー(旋回舞踏)」↓。回転することで神との一体を図るという特徴的な祈りの儀式だそうだ。ユネスコ無形文化遺産に登録されている。

 

内部には、教団の発展に尽くした名僧たちの霊廟の他、ムハマンドの顎鬚や古いコーランなども残されている。

 

 

 この後の「カッパドキア」へ向かう途中、「キャラバンサライ」の観光が日程表に入っていたと記憶しているが、写真がない。

私の勘違いなのか車窓観光のみだったのか・・。今となっては分からない。

 

トルコのスルタンハンという町にある「キャラバンサライ(隊商宿)」。

(写真:Pixabayより)

 

アナトリア地方にルーム・セルジューク朝(1077~1308年)が興り、この地にトルコ族が定住することになった。首都はコンヤにおかれ、12世紀から13世紀にかけて大いに繁栄した。セルジューク朝の最盛期にキャラバンルートが整備され、今でも多くの隊商宿が残っているそうだ。隊商宿というより堅固な要塞のようだ。

 

 

次は、いよいよ「カッパドキア」へ向かう。

パムッカレやカッパドキアはトルコの内陸に位置し、この一帯を中央アナトリア地方と言う。この広大なアナトリアの大地を、バスは東へ向かってひたすら走る。道はどこまでも真っすぐに続き、まるで北海道の大地のような風景だった。もちろん雄大な自然や時折見える村々の風景は日本とは違っている。

私たちにとって相当長い距離を移動したように感じても、目指す「カッパドキア」はトルコのほぼ中央部。トルコの面積は日本の約2倍もあるそうだ。それを考えれば頷ける距離だ。

 

「ウチヒサール」、カッパドキア地方で一番高いところにある村。「城砦」のような岩山を中心に、頂上から山裾にかけて家々がびっしりと張り付いている。ウチヒサールという言葉は”尖った城砦”を意味する。

 

カッパドキア」は、地球が何万年もかけ創り上げた奇跡の絶景。火山の噴火によって堆積した地層が、長い間の浸食によって不思議な形状の岩となったもの。この自然の驚異の中に人間が造り上げた風景が融合しているカッパドキアは、世界遺産複合遺産に登録されている。

 

「岩窟教会」の一つ?

 

「地下都市」、主に10世紀以前にこの地に住むキリスト教徒たちによって、しばしば侵入してくるアラブ系民族の脅威から逃れるため造ったもの。地下都市の中には、教会・ワイナリー・キッチンなど生活できる施設が揃っている。通路の要所に置かれている円形の巨大な石(STONE DOOR)は、敵が侵入した際に通路を塞ぐための扉。

                    「STONE DOOR」↓

 

寒い時期でもトルコアイス「ドンドルマ」が売られていた。

 

「ローズバレー」、山肌にピンク色の地層が見られる。

ギョレメ国立公園」の中でもダイナミックな自然が広がるエリア。

 

ホテルや洞窟住居がたくさん見られる。

 

キノコ状の奇岩が並ぶ。

 

岩窟教会の内部にあるフレスコ画

 

その日の宿泊は、首都「アンカラ」。

アンカラでは、特に観光はなかったような・・、スーパーで買い物をしたのを覚えている。

 

 

その後、一路「イスタンブール」へ。

トルコのアジアサイドから「ボスポラス海峡」を渡ってヨーロッパサイドへ。生憎の雨で靄っている。

 

イスタンブールの最初の観光スポットは、旧市街にある「トプカプ宮殿」。

 

「皇帝の門」、トプカプ宮殿への入口。

 

トプカプ宮殿」は、オスマントルコ帝国のスルタンの居城であり、また、行政の中心地として帝国の威光を内外に示してきた。16世紀半ばに建てられ19世紀半ばにドルマバフチェ宮殿を建てるまで、歴代の大部分のスルタンの居城となった。現在は、「ハレム」以外は殆ど博物館として利用されている。

 

「アヤ・イリニ教会」、ビザンティン帝国時代の教会でトプカプ宮殿の敷地内にある。

 

「表敬の門」。宮殿は二重の城壁で囲まれているため、二つ目のこの門から入場する。

 

宮殿の中で最も高い「正義の塔」。塔の下にある建物は政庁。

 

昔の調理場だった建物。現在は陶磁器・ガラス工芸品・厨房器具などが展示されている。

 

「謁見の間」

 

このツアーに「ハレム」の見学が含まれていなかったので、博物館の見学もそこそこに、急遽、別料金を払って友達とハレムの見学へ。

 

ハレム内には美しい「イズニックタイル」の装飾が随所で見られる。

 

黒人の宦官?

 

                    螺鈿細工の扉。

 

「母后(スルタンの母)の部屋」の装飾。

 

「皇帝の広間」

 

「ムラト3世の居間」          「皇太子の部屋」

 

「正義の塔」の下にある「会議の間」、内部は豪華な装飾で見応えがある。

 

 

次の見学は「ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミー)」。

 

広い前庭を取り囲む回廊にも、小さな半円形のドーム屋根が連なっている。

このモスクは、スルタン・アフメット1世の命により建てられ1616年に完成した。内部にはイズニックタイルを使用し、ブルーを主体とした装飾が施されていることから「ブルーモスク」の愛称がついた。ミナレットは計6本もあり、外観・内部ともその壮麗さは圧巻。

 

こんな生憎の天気でも、トルコの伝統的なゴマ付きパン「スミット」が売られていた。

 

トプカプ宮殿とブルーモスクの間に聳える「アヤソフィア」。

ビザンティン建築の最高傑作と評されるアヤソフィアだが、今回は残念ながら見学がなかった。

 

その歴史は、ビザンティン時代にこの地に大聖堂が建てられたのが始まり。その後の度重なる焼失や破壊などにより再建・改築を繰り返してきた。1453年オスマントルコがこの地を征服すると大聖堂はモスクに改められ、アヤソフィアと呼ばれるようになった。この時代にキリスト教のモザイク画やフレスコ画が漆喰で塗りつぶされた。トルコ共和国以後、博物館として公開されていたが、2020年エルドアン政権によりモスクへ回帰された。

 

 

トプカプ宮殿アヤソフィア、ブルーモスクなどは「イスタンブール歴史地区」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

 

 

ブルーモスクに隣接する大競技場跡に立つオベリスク

コンスタンティヌスオベリスク」   「テオドシウスのオベリスク

 

「蛇の柱」

 

その他、どの時点で行ったのか覚えていないが、「グランドバザール」へも行った。

 

 

その日の夕食をとったレストラン。地元客や観光客で賑わうレストラン街にあった。

 

 

翌日はフリータイム、新市街の「イスティクラル通り」でお買い物。

新市街のシンボル「ガラタ塔」が見える。

 

旧市街と新市街を隔てる金角湾に掛かる「ガラタ橋」。のんびり釣りを楽しむ人が多い。

 

イスタンブールの宿泊は旧市街にあるホテルだった。朝アザーンの大音量で目覚めた。外は日が昇る前で暗いけれど、この国の朝は早い。家々の窓に明かりが灯り、既にホテルから見える道路にはライトを点けた長い車列ができていた。

このブログを書きながら、そんなトルコの最後の朝を思い出した。

(終)