yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

見どころ満載の小さな島国 スリランカ②

天空の宮殿

 

アヌラーダプラの翌日は、スリランカ旅行で一番楽しみにしていた世界遺産の「シーギリヤ・ロック」。

旅好きな友人からも勧められていた場所。しかも、足腰が丈夫なうちに行かないと、シーギリヤ・ロックに登るのは大変だとも聞いていた。

 

その「シーギリヤ・ロック」は、密林の中に忽然と姿を現す。緑の密林と赤茶けた岩山のコントラスト、その神秘的な姿もさることながら、その岩山の頂上には、かつて華麗な宮殿があったという事実に強く興味を引かれる。

いよいよその天空の宮殿を直接この目で見ることが出来る。ワクワク・・。

 

バスでシーギリヤに到着して、最初に出迎えてくれたのは・・なんと・・。

現地ガイドさんに「あ、あれは何ですか?」と聞くと、「あ~、あれはオオトカゲですね。」とさらりと答えが返ってきた。爬虫類が苦手な私は、本当のところかなりビビった。なぜかと言うと、ここでバスを降りるからだ。

ところが、オオトカゲさんは、私達がバスから降りた頃にはどこかへ姿を消していた。ホッ‼

 

シーギリヤの敷地に入り「水の広場」や遺跡を見ながら、真っすぐシーギリヤ・ロックを目指す。

 

朝、敷地内をお掃除している人がいる。

 

ワンコはまだ眠そう。

 

ズームした写真。

 

実は、まだこの距離。

 

岩肌をズームして撮ってみた。

オレンジ色の帯状のラインは「ミラー・ウォール(鏡の回廊)」。その上の黒い囲いのある部分が「シーギリヤ・レディ」と呼ばれる美女のフレスコ画が描かれている場所。

 

これは、「エレファント・ロック」かな? 岩山の上から見ると、緑の密林の中にゾウがいるように見える岩。

 

「石窟寺院」、この洞窟の中には仏陀の胸像がある。シーギリヤには他にもいくつも石窟寺院がある。

 

階段を上って行く。

 

この石窟には、壁画が微かに残っている。僧院として使われた時に、その壁画が修行の邪魔になるということで削った跡だとのこと。

 

これは別の石窟だろうか? 微かに色彩が残っている。

 

「鏡の回廊」とその上に「シーギリヤ・レディ」のフレスコ画がある場所へと続く螺旋階段が見える。

 

狭い階段や螺旋階段にハラハラドキドキしながら、やっと「シーギリヤ・レディ」にご対面!

 

5世紀の作品だというのに、はっきりと綺麗な色彩が残っている。

このフレスコ画は、イギリス統治下にあった1875年に、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人によって発見されたそうだ。その妖艶で神秘的な「シーギリヤ・レディ」はスリランカを代表する芸術として、今では広く世界に知れ渡る壁画となっている。

この美女たちは、かつては500人ほど描かれていたが、現在は僅か18人が残っているのみ。彼女たちが誰であるか・・、アップサラ(天女)であるとか、上流階級の女性(裸の女性)と侍女(服を着ている女性)であるとか諸説あるようだ。

※「シーギリヤ・レディ」は2016年から撮影禁止になったそうです。

 

螺旋階段を降り、「ミラー・ウォール(鏡の回廊)」が続く通路を歩いて行く。この壁はレンガを芯に漆喰が塗られ、その上に卵の白身と蜂蜜と石灰を混ぜたものを上塗りしてあるそうだ。その表面を磨き上げ、光り輝く壁が造られた。かつては、壁に対面する岩肌にも美女が描かれていたようで、その姿が映るような仕掛けになっていたそうだ。

また、この回廊の床は大理石が敷かれている。

 

しばらく進むと左下に遺跡と「投石機」が見える。

 

「投石機」(赤マルの部分)、敵が攻めて来た時に岩を落として宮殿を守るために備えたもの。

また、その向こうに見える山は「ピドゥランガラ」。シーギリヤと対をなすもう一つの聖地の山。この山は、TBS『世界遺産』でも取り上げられたことがある。

 

さらに、このような狭い通路を上って行く。

 

すると、やっと一息できる広場「ライオン・テラス」に出る。しかし頂上へは、まだまだ階段が続く。その階段を挟むようにライオンの爪の形をした「ライオンの入口」がある。以前は、足・頭部があったのではと考えられている。

 

ここからも、再びハラハラドキドキしながら階段を上り、やっと「王宮跡」が残る頂上へだどり着く。

「シーギリヤ・ロック」は地上195mの高さ、地上から頂上まで1200段の階段、頂上部分は5000坪の広さに及ぶそうだ。

頂上に立てば、360°の絶景が広がっている。

 

この宮殿の歴史は古く、5世紀後半のシンハラ王朝で起きた悲劇から始まる。

平民出身の母から生まれたカーシャパは、王家の血筋を引く異母弟に王位が継承されるかもしれない不安に駆られ、自らが王になるために父王を殺害するという暴挙に出てしまう。そうして王位に就いたカーシャパが弟の報復を恐れ、シーギリヤ・ロックの上に宮殿を造り移り住んだ。

しかし、戦いを挑んできた弟にいともあっさりと敗れ、カーシャパは自ら命を絶ったのである。その後、弟は直ちにアヌラーダプラに都を戻したのだった。シーギリヤが王都として使われたのは、僅か11年間だった。

 

 

お坊さんもパチリ! あれっ⁉ 手にしているのは携帯?

 

「王のプール」

頂上には王宮やプールの他に兵舎、住居、ダンスステージがあったそうだ。

 

眼下には「シーギリヤ・ウェワ」(貯水池)。シーギリヤもアヌラーダプラ同様に高度な水利設備が整っていたそうだ。

 

玉座もあるが、写真を撮ってなかった。

 

シーギリヤ・ロックまで歩いて来た「水の広場」と「エレファント・ロック」を見下ろす。(動画に映っていた景色)

 

下山は、途中から別の階段を下りて駐車場へと向かう。

 

その途中に見られる「会議堂」。ここはカーシャパが会議を開いたと言われるホール跡。玉座も残っている。

 

会議堂から道を隔てた所に「アサナ礼拝堂」がある。ここで、古代の僧たちが瞑想したと言われている。

 

さらに下ると「コブラの岩」。この岩はひと目でコブラだと分かる。この岩の下にも絵画の跡が残っているそうだ。

 

シーギリヤの観光が終わり、バスは次の観光スポットへ向けて走る。シーギリヤ・ロックが遠ざかっていく。

 

 

シーギリヤを後にして、次は世界遺産「ポロンナルワ」へ。

 

「ポロンナルワ」は、1017年~1255年までシンハラ王朝の首都がおかれた所。

遺跡が残る旧市街エリアは、巨大な人工貯水池「パラークラマ・サムドラ」の畔にある。かつてのアヌラーダプラ同様、貯水池は無くてはならないものだった。この「サムドラ」とは海という意味で、「ウェワ」よりもっと大きい。この貯水池を造ったのはパラークラマ・バーフ1世で、この他にも多くの建築物を建設し、「ポロンナルワ」を仏教都市として開発した。また、それまで上座部・大乗・密教の三派に対立していた仏教界を統一した。その全盛期には、他国から僧が訪れるほどの仏教都市として繁栄をみたという。

 

先ず、「パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡」から観光開始。

 

重厚なレンガ造りの宮殿。元は7階建ての建物で、現在は3階の壁までしか残っていない。4階~7階までは木造だったそうだ。厚さ3mもあるレンガの壁の表面は白い漆喰で塗られていて、その一部が残っている。

 

 

連理木について説明をする現地ガイドさん。

 

 

宮殿内にある「閣議場」。土台にはゾウのレリーフが彫られている。ゾウの彫刻は一つひとつ違う形をしている。

 

閣議場内の数多く立っている石柱には、各大臣の名が彫られており、大臣たちはその場所に座って閣議を開いた。

これは、中国及びその影響を受けた国々にも同様に、大臣の位が彫られた石碑が王宮で見られるので、とても興味深い。

 

 

「シヴァ・デーワーラヤNo.1」、これはヒンドゥー教寺院。仏教王国の首都に何故ヒンドゥー教寺院があるのかというと、王妃の一人がヒンドゥー教徒だったために建てらたという説がある。また、南インドのチョーラ人が侵略した時に建てたという説もある。

 

寺院内部にはリンガが残るのみ。ヒンドゥー教の派手な装飾や神様の彫刻などがなく簡素な寺院。

 

リンガから流れる聖水口だそうだ。この聖水を飲むと子宝に恵まれるという。

 

連理木。内側の木の樹皮を外側の木の根が貫いている。その生命力は凄まじい。

 

 

「クワドラングル」

クワドラングルとは四辺形の意味で、城壁で囲まれた方形の区域をさす。宮殿の北側にあたり、旧市街のほぼ中心部にある。その方形の庭の中に11の建築物が集まっている。その「クワドラングル」内の見学。

 

 

「クワドラングル」の入口近くにある「トゥーパーラーマ」。

 

四角張ったこの仏堂の中に入る。暗くひんやりとした堂内の中には仏像が何点か見られる。壁は分厚く窓は小さい。朝・夕には太陽光線が入り、仏像の顔を照らす仕組みになっているそうだ。長年の歴史を経た仏像は、手がなくなっているものや顔がはっきりしないものが多い。

 

外に出る。この遺跡は何だろう?

 

 

原形をよく留めている「ワタダーゲ」。クワドラングルの中で一番大きく目立つ円形の仏塔。

 

周囲には東西南北4カ所の入口があり、中央にはダーガバ(仏塔)を取り囲み4体の座像仏が見られる。また、どの入口にもムーンストーンとガードストーンがある。

この仏塔は7世紀頃の建立だというのが通説だ。中心にあるダーガバはアヌラーダプラの王が建てたものと言われる。壁に彫られている彫刻は、後のニッサンカ・マーラ王により施された。

 

 

アヌラーダプラのムーンストーンには4種類の動物が描かれているが、ポロンナルワで見るムーンストーンには3種類のみ。ポロンナルワの時代には既にインドからヒンドゥー教が伝わってきており、その神の一つである牛の像をムーンストーンから外したと言われている。

 

 

 

「ハタダーゲ」、ワタダーゲのちょうど向かい側にある仏歯寺跡。12世紀にニッサンカ・マーラ王によって建てられ、仏歯が納められていた。門を入ると、この王の碑文も残っている。

 

奥に3体の仏像が立っている。中央の仏像しか写っていないが、顔が破損している。

 

 

「アタダーゲ」、11世紀にウィジャヤバーフ1世により建てられた仏歯寺跡。仏歯が納められていた。

 

ぽつんと立つ小仏像。その向こうに「アタダーゲ」の石柱立っている。

 

小仏像を前から見ると、こんな感じ。

 

 

「ラターマンダパヤ」、8本の石柱は蓮の茎を象っている。

 

 

「サトゥマハル・プラサーダ」、クワドラングルの北の端にある。これは、タイのワット・クークット寺院に類似しており、タイから来た建築士が建てたものだと言われている。

 

 

「ガルポタ」、ハタダーゲの東側にある。ヤシの葉の本の形をした石碑で、別名「ストーン・ブック(石の本)」とも言われる。ニッサンカ・マーラ王の命令で彫られたものだそうだ。

 

 

この後、少し移動し「ガル・ヴィハーラ」へ。

 

ここには、仏陀の涅槃像・立像・座像の3体の石像が彫られている。大きな一枚岩に彫られた摩崖仏。なお、立像は仏陀の一番弟子アーナンダという説もある。

りんとした姿の座像。

 

座像と立像の間の仏龕(ぶつがん)の中にも座像がある。金網とすりガラスで覆われているので分かりづらい。

 

腕を胸で交差する立像は初めて見た。腕組みをしているようで、私には気楽なスタイルの仏様といった雰囲気に見えるが、人生の辛さを哀れむ、悟りを開いた仏陀の姿とされている。

 

立像の隣りの涅槃像は全長14m、穏やかなお顔で横たわっている。

 

ここで見かけた果実。

 

 

この日の観光は終わり、ホテルへ向かう。そのバスの中で見た野生のゾウ。野生のゾウを見るのは初めてで感激! 

孔雀が綺麗な羽を広げているところも通りかかったが、バスの中なのでシャッターチャンスを逃してしまった。

 

 

この後は、③で紹介します。