yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

常夏の国 シンガポール&マレーシアの旅①

シンガポールからマラッカへ

 

2009年8月、シンガポール&マレーシア旅行。この旅行は同行者Yさん共々マイルを使っての旅だった。そして、現地でシンガポール人のアディさんとお会いしマレーシア旅行をご一緒した。

 

深夜にシンガポールへ到着。深夜にも関わらず、しかも到着が予定時間より遅れた記憶があるが、アディさんご夫妻が空港で待っていてくださった。大変有難く恐縮するばかり。

そして、お互いの挨拶が終わると、私達が泊まるホテルまで車で送ってくださった。

 

アディさんは、当時私達二人が所属していたボランティアサークルで、グループ旅行を企画した際にお世話になった方だ。彼はYさんの以前からの友人で、当時シンガポールの旅行社で働いていた。現在は独立されているそうだ。2006年「シンガポールブルネイ」、2008年「タイ&インド」のグループ旅行でお世話になった方だ。

 

 

翌朝、ホテルの近くで朝食。シンガポールの伝統的な朝食カヤトースト、カヤジャムをサンドしたトーストを半熟卵につけて食べる。甘いカヤジャムは癖になる美味しさ。

 

この日は、エキスプレスバスに乗車しマラッカへ。アディさんもご一緒してくださった。アディさんの奥様はマレーシア人で、その親戚を訪ねるついでと言っていたが、大方は私達の案内をしてくださった。ここでも感謝!

座席前のプライベートモニター↑ 

 

コンソーシアム・エキスプレスは、今調べてみるとビーチロードから一日一便出ていた。アディさんが全て手配してくださったので、乗車場所が今になって分かった(笑)

バスはゆったりとした座席で快適だった。

※このバス会社KONSORTIUM BUSは、数年前に閉鎖してしまったという記事をみつけました。(これらの情報は、この記事を書いた2021年現在のものです。)

 

さて、シンガポールからマレーシアに陸路で入国するイミグレーションを過去に2回経験しているけど、この時はセカンドリンクのイミグレを通過したのではないかと思う。コーズウェイリンクに比べると、人出もそれほど多くなくスムーズだった。

 

 

マラッカへ到着。マラッカの宿泊は、ホテルエクアドリアル。

WEB上に残っていたバス会社の記事を読むと、このバスはホテルエクアドリアル前に停車すると書かれていた。大体のバスはマラッカの中心から少し外れた所にあるセントラルバスターミナルに停車する。アディさんが、このホテルを予約してくれたのが納得。

昨夜宿泊したホテルは小さなホテルだったが、寝るだけなので問題なし。バス乗り場からも近い所で、無駄がない手配。 う~ん、さすが!

 

お部屋から撮ったホテルのプール。

 

ホテルから徒歩圏内のお店で、マレー料理のランチを三人で食べた。

その後、Yさんと二人でマラッカ観光に出た。その際に派手なトライショーを利用した記憶があるが、写真を撮っていない。(トライショーとは人力の三輪自転車のこと)

 

 

最初に訪れたのが、「スルタン・パレス(文化博物館)」。

これはマラッカ王国の宮殿を忠実に復元した建物。

このようなリアルなマネキン人形で当時の様子が再現されている。

マラッカの歴史は、1402年頃にパラメスワラによってマラッカ王国が建国されたのが始まり。マラッカ王国は、海のシルクロードの中継地として、海洋貿易国の黄金時代を迎えた。

しかしその後、ポルトガル領、オランダ領、イギリス領と統治者が変遷していった。1941年から日本が統治。終戦後、再びイギリスが海峡植民地とした。その後、マレーシア独立の機運が高まり、1957年に完全独立した。

 

 

次は、「セントポール教会」の建つセントポールの丘へ。

 

丘の上からの眺め↓ 

マラッカ海峡が見える。また、右側に「マラッカタワー(回転式展望台)」。このタワーは世界遺産の街マラッカに相応しくないと不評もあるそうだ。

レンガ色の屋根に白い壁、そんな同じ建物が整然と並んでいる様子は美しい。

 

セントポール教会」は、1521年にポルトガル人によってキリスト教布教の拠点として建立された。

 

この石像は、日本でもお馴染みの「フランシスコ・ザビエル像」。彼はイエズス会極東アジア地域の責任者として布教活動を行った。ザビエルの右手がないことに関して諸説あるようだ。(ここでは省略します。)

 

教会は朽ち果てた状態で屋根が残っていない。その内部には墓碑が残っている。しかし、この墓碑はこの教会とは異なるプロテスタント派の墓石だそう。

正面の白い金網の囲いは、中国で殉教したフランシスコ・ザビエルの遺体が、インドに移送されるまで一時安置されていた場所。

 

ザビエルは、ここマラッカで鹿児島出身の日本人「やじろう(アンジロウ)」に出会い、日本での布教を決意した。

1549年、「やじろう」はザビエルに従い鹿児島に上陸。日本のキリスト教布教の第一歩となったのである。

 

 

次に向かったのは、「サンチャゴの砦」。1511年にポルトガルによって築かれた。今ではこの門だけが残る。

 

「オランダ広場」の方へ戻って来た。指をさしているのがトライショーのおじさん。

 

マラッカの中心、「オランダ広場」。オランダ統治時代に建てられたレンガ色の建物に囲まれている。

 

次は広場に面している「スタダイス」を見学。1650年にオランダが完成させた三階建ての建物で、役所及び総督の官邸として利用されたそうだ。

現在はマレーシアの歴史を凝縮した博物館となっている。

 

マラッカを統治した国々の国旗と人物像が並ぶ。

 

展示物の中にオランダ東インド会社のマークが入った皿があった。

また、このような遺構も見られる。

 

この像は、博物館の中庭に立つ鄭和(中国・明朝の武将)の像。

 

次に向かったのは、マラッカ川を渡った地域。

オランダ広場から橋を渡って、チャイナタウンに入って行く途中に見られる「オランウータンハウス」。こんなウォールアートが見られる。

因みに、写真の下部に写り込んでいる赤い花はトライショーに飾り付けられている花。

 

「カンポン・クリン・モスク」、マレーシア最古のモスクの一つ。ハーモニーストリートにある。建物を撮っていない😭。

 

ハーモニーストリート沿いにある仏教寺院「香林寺」。

このお寺の前に停まっているトラック(人がいるところ)で、サトウキビのジュースが売られていると、Yさんが教えてくれた。日本でも昔は飲まれていたそうだが、私は飲んだことがないので飲んでみたかったな・・。

 

香林寺のはす向かいにある「青風亭」。華人によって建てられた中国寺院で、明の鄭和のマラッカ寄港を讃えて建立されたそうだ。

 

ハーモニーストリートにはヒンドゥー寺院もあり、様々な宗教寺院が混在している。

 

 

次は「海洋博物館」へ。

この帆船は復元されたフローラ・デ・ラ・マール号。マラッカ王国から略奪したお宝を満載したまま沖合で沈没したポルトガル船だそうだ。

船内の展示。

 

その日の夕食は、アディさんに連れて行ってもらったチャイナタウンで。ニョニャ料理だったのかな? とっても美味しかったのを覚えている。

 

その後、マラッカ川のリバークルーズへ。

アディさんが「シンガポールのリバークルーズの方がずっといいよ。」と言っていたのが印象に残っている。

 

マラッカはマラッカ海峡に沈む夕陽も有名だ。思い出すのは、沢木耕太郎の「深夜特急」。私も若い頃友達に勧められ、面白くて一気に読んだ記憶がある。

ところが、その時間、私達はホテル近くの大型スーパーやショッピングモールでお買い物の真っ最中だった(笑)。

 

 

マラッカ一日目は終了。翌日はクアラルンプールへ。