yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

人情溢れる台湾、古都台南の旅

旅先の優しい人々との触れ合い

 

知らない土地や言葉が通じない国へ旅した時に、道に迷ったり、何か困ったりすることは少なくない。そんな時思いがけない人の親切に触れると、本当に有難く嬉しいものだ。

そのような地元の人との触れ合いが、旅により深い印象を与えてくれる。

 

親日と言われる台湾では特にそんな経験が多い。駅構内や地下街などでうろうろしていると、「どうかしましたか?」と綺麗な日本語で話しかけてくれる。私にはそんな経験が何度もある。そして、彼らの話す日本語は、日本人である私達より綺麗で完璧だ。

 

そんな日本語世代が高齢になり、このような経験が減ってきているのはとても残念だが、時には若い世代でも流暢な日本語で話しかけてくれる。「日本語、お上手ですね。」と言うと、日本語を勉強しているとか日本に住んでいたことがあるという人が多い。

彼らは単に日本語を話したいだけでなく、困っている私達に話し掛けてくれる場合が殆どで、本当に親切な人が多い。

 

2015年お正月、夫と台湾の高雄へ旅行した。成田から直行便で行き宿泊は高雄のホテル。85大楼という高層ビルにあるホテル(当時の名称:高雄85 スカイタワーホテル)。

高雄港を一望できるお部屋だった。しかも普通のツインの部屋をとったのに、案内されたお部屋はキングサイズのダブルベッド&ダブルベッドという広~いお部屋、超ラッキー!

滅多にない幸運に恵まれホテルステイを満喫すればいいのに、そこはやっぱり貧乏性の二人、せかせかと目いっぱい観光へ出掛けたのである。

 

滞在中、古都台南へ日帰りをした。高雄駅から自強号で台南駅まで。

 

この日は台南の観光と台南郊外の「安平古堡」へ。

 

台南駅に着くと、夫の希望で先ず「成功大学」へ。この大学構内にあるガジュマルの木が見たいというので、駅から歩いて大学まで行った。実は私も行きたかったのだ。

♪ この木なんの木、気になる木 … … ♪ と、テレビCMで聞こえてきそうな木だけど、これは榕樹と言われるガジュマルの木。日本統治時代の1923年、昭和天皇が皇太子だった時に自ら植樹されたそうだ。

よく手入れされ大切にされているのが分かる。この木の周囲には沢山のガジュマルの木が植えられていて、「榕園(BANYAN GARDEN)」となっている。学生達だけでなく、ここを訪れる人達にとっても憩いの場となっているそうだ。

 

さて、広いキャンパス内には、こんなものも見られる。台湾府城の城壁や城門が一部残されている。私が見たいと思っていたのは、これ!

こんな歴史深い所にある成功大学は名門大学の一つ。古都台南にあるので、日本でいう京都大学みたいな位置づけらしい。名前は鄭成功に因んで付けられている。

 

これは日本統治時代に駐屯していた陸軍の宿舎だった建物で、現在は大学の施設(大成館)として使われている。ずっしりとした立派な建物だ。

 

昼食後、「安平古堡」へ。成功大学とは駅を挟んで反対側の駅前ロータリーでバスに乗る。ほぼ満席状態のバスに乗り込み、私達は空いていた一番後方の席に座った。

近くには若者グループの男女4・5人が賑やかにお喋りをしていた。

車内の電光掲示板には次の停留所名が表示される。ある老街が見えてきたので、注意して見ていたつもりだが、それらしき停留所名が出ない。

やがてバスは街並みから外れ郊外へと出て行った。工場しかないような田園地帯で運転手がバスを止め、何やら大声で喋り出した。

なんと! その時点で乗っていた乗客は、ほとんど全員が乗り過ごしていたのだ。

わぁ~、こんなことってある??

 

何もない所で、10人ほどの乗客がぞろぞろと降ろされる羽目になった。恐らく全員が観光客だったんだろう。

何人かはその場から足早にどこかへ去っていったが、タクシーも通らなそうなそんな場所で、私と夫は途方に暮れていた。

その時、若者グループの青年が声を掛けてくれたのだ。流暢な英語だった。

「どこまで行くんですか?」と聞いてきたので「安平古堡」と答えると、「僕たちもそうだから一緒にいきましょう。」と言ってくれた。なんて優しい若者なんだろう!!

グループの女の子が近くの工場で道を聞いてきてくれた。

 

そこから安平老街へ向かって彼らと一緒に歩いて行った。1月でもお天気が良ければ台湾南部は夏日。陽射しを遮るものがないので汗ばんでくるほど。若者達は半袖Tシャツ姿だった。

彼らは台中から来た大学生グループで、オーストラリアへ留学中だが休暇中で国に戻っているとのことだった。全員が留学組なのか分からなかったが、女の子も綺麗な英語を話していた。

とびっきり気さくで陽気な彼らのお陰で、暑さも気にならず、楽しく無事に辿り着くことが出来た。

 

私達は、食事へ行くという彼らにお礼を言って別れた。

安平古堡は「ゼーランディア城」とも呼ばれ、1624年にオランダ人により築かれ統治が始まった。

その後、鄭成功によってオランダ勢力は駆逐されたが、日本の統治が始まり修復されるまでは城は荒れ果てた状態だったようだ。

 

鄭成功は中国人の父親、日本人の母親をもつハーフ。オランダ軍を打ち破ったことで、台湾では英雄となり尊敬されている。鄭政権を樹立したが、彼は熱病に掛かり早世してしまった。

 

安平老街には他にも見所があるが、台南の中心部へバスで戻り「神農街」など街歩きをしてから高雄に戻った。

 

ピンチな状況でもいつでも助けられる、そんな優しい人々がいる台湾。この日も若者達に助けられたのだった。