yuanzi の徒然日記

G.G.世代旅好きオバサンが綴るブログです

韓国最大の港町釜山と慶州、金海の旅①

日本から近い釜山の旅

 

2015年12月、夫と釜山へ旅行した。この旅で初めてLCCを利用。

日にちが迫っていて、一番いい時間帯に残っていたのがエアプサンだったのだ。ホームページで調べると意外と良さそうと判断しエアプサンを予約した。

 

実際利用してみると、成田空港第3ターミナルではなく第1ターミナル発着、預入荷物も小さなスーツケースくらいなら無料(重量は15㎏以内)、機内食も無料、CAさんも感じ良く、他の航空会社と比較しても遜色なかった。(※2015年当時はこのようでした。)

 

ホテルは滞在中の予定を考え、釜山駅にアクセスの良いホテルを予約した。

ホテルから地下鉄の駅などへ向かう途中、高台に堂々とそびえる韓国風建築の老舗ホテルが見えてくる。コモドホテルだ。

夫は「あのホテルの方が良かったな。」と見る度に呟いていた。以前このホテルに宿泊経験があった私は、「あの坂を上り下りしなきゃいけないし、古くてロビーは暗いし・・。」と、何だかんだとデメリットを並び立て宥めるばかり。ただ、シービューのお部屋であれば、釜山港が見渡せてお部屋からの眺めは素晴らしい。

 

このコモドホテルの名前は「commodore(=提督)」からきている。16世紀の文禄・慶長の役で、豊臣秀吉を退けた韓国の英雄「李舜臣(イ・スンシン)」の官名に因んでいるとのことだ。

 

その李舜臣は龍頭山公園の中で、日本を見据えて凛々しく立っている。背後は釜山タワー。

 

翌日、私達は龍頭山公園を通り抜け、国際市場、そしてチャガルチ市場へ向かった。

その途中のPIFF広場(釜山国際映画祭広場)に映画人の手形が並んでいる。まるでハリウッドのチャイニーズシアターのようだ。日本の映画監督ビートたけし北野武)の手形もあった。

 

「チャガルチ市場」↓

 

場外の市場↓ 地元の買物客に混じって観光客らしい姿も目立つ。

 

釜山は韓国最大の港町。新鮮な海産物を売るチャガルチ市場、その場内や周辺にはシーフードレストランや食堂が数多く並んでいる。場内では1階で買った魚介類を2階の食堂で調理してくれるシステム。でも、直接お店に入って注文も出来た(以前の経験から)。

活気溢れる市場や周辺を歩きまわりお腹も空いたので、外にあるお店に入って海の幸を堪能した。

 

チャガルチ市場からの眺め↓

 

 

釜山の観光後、金海市にある「首露王陵(スロワンヌン)」へ。

 

釜山からのアクセスは、地下鉄から軽電鉄へと乗り継いで行くことが出来る。紫のラインが軽電鉄。

 

 

ここまで来て、この敷地の広さに驚いた。当初は「きっと小さな円墳があるだけだろう。」と考えていたけど、大間違いだった。王陵や建物群を囲む長い外塀から、広大な敷地であることが想像できる。

 

最初の門(王陵への正門)

 

崇化門をくぐると見えてくる「紅箭門(フンサルムン)」。日本の神社の鳥居に似ている。中央は神様のみが通るエリアだそうだ。

 

この駕洛楼をくぐると円墳が見えてくる。

 

首露王

 

首露王とは、西暦42年に駕洛国を建国し韓半島南部にあった6つの小国をまとめた王と言われる。それが伽耶国だ。伽耶は鉄の製造が盛んだったことで知られ、日本とも交易があった。後に新羅に敗れる。

魏志倭人伝では、伽耶国は「狗邪韓国」と伝えられている。

伽耶国は色々な呼び名があり、私達が歴史で勉強した「任那(みまな)」と一般的に同一又は重複地域を指すそうです。

 

伝説では、首露王は金の卵から生まれたので、金姓を名乗るのだそうだ。金海金氏の始祖だと言われている。

また、その王妃は、サータヴァーハナ朝(インド)の王女と伝えられている。首露王とその王妃。

 

「許黄玉像」は首露王妃(上の右写真と同一人物)の像。

 


歴史の教科書でも馴染みの韓半島の古代の小国。新羅に敗れた際に戦乱を逃れ、日本に移住した伽耶人が多くいたそうだ。そんな日本との関係、また信じがたい伝説など、古代のロマンに思いを馳せながら見てまわるのも旅の面白いところ。

この首露王陵は、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ「韓のくに紀行」にも登場してくる。行ってみたかったので望みが叶った。

でも、今読み返してみても、これほどの規模であることは書かれていない。やはり自分の目で実際に見られて良かった!

 

因みに、司馬遼太郎が旅したのは1971年のことです。