古代マケドニア王国 マケドニア&ギリシャの旅③
古代マケドニア王国の遺跡
テッサロニキを後にして、「ペラ遺跡とペラ考古学博物館」へ。
ペラは古代マケドニア王国の2番目の首都。紀元前5世紀末に旧都アイガイ(ヴェルギナ)から遷都された。アレクサンドロス大王と、その父ピリッポス2世の生誕の地でもある。
※アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)
ペラ遺跡に到着。
最初に遺跡を見渡した感想は、意外に小さいなと思った。ところが、現在発掘されている場所は遺跡のほんの一部だそうだ。
左奥の緩やかな丘の上に「ペラの宮殿跡」があるそうだ。
大邸宅「ディオニュソスの館」。中庭を囲む6本のイオニア式の列柱が復元されている。この館には南北2つの中庭がある。手前は市松模様のモザイク。モザイクは大きな邸宅の部屋の床面を飾るもの。
この中央部には、モザイク画「アレクサンドロスのライオン狩り」↓があった。考古学博物館に復元されている。
こちらの中央部には、モザイク画「豹に乗るディオニュソス」↓があった。考古学博物館に復元されている。
後方に見える少し丸みを帯びた屋根(左)の場所が、「ヘレネの略奪の館」。
幾何学模様のモザイク。
ペラの街は下水道が完備していたようだ。その説明の写真↓
次に屋根で保護されている「ヘレネの略奪の館」へ。オリジナルのモザイク画があるため保護されている。
こちらは、発掘の真っ最中↓
刷毛でモザイクの上の土を払い、時々水を掛けていた。すると、モザイク画が鮮明に浮かび上がってくる。見ていて興味深く面白かった!
モザイク画「アマゾン族との戦い」↓(オリジナル)
モザイク画「鹿狩り」↓(オリジナル)
モザイク画「テセウスによるヘレネの略奪」↓(オリジナル)。このモザイク画が館の名前の由来となった。
「アゴラ」へ向かう。
広大な「アゴラ」を囲む商店街の跡。商店は2階建てだったそうだ。
アゴラは市民生活の中心となった場所。
ペラ遺跡には、この他に「宮殿跡」や「城壁跡」もある。
また、驚いたことに現在のペラは内陸に位置しているが、当時は湾に面していて港もあったそうだ。2000年以上の間に沈泥によって海から遠ざかってしまったとのことだ。
この後、近くにある「ペラ考古学博物館」へ。
先ず目に飛び込んでくるのは復元されたモザイク。「アレクサンドロスのライオン狩り」↓
「鹿を襲うグリフィン」↓
「豹に乗るディオニュソス」↓
遺跡の邸宅から発見された壁の装飾。
「アレクサンドロス大王の遠征図」↓ ペラが湾に面しているのが分かる。
アレクサンドロス大王は、父ピリッポス2世が目指したペルシャ遠征を、父亡き後王位継承し東方遠征を開始した。11年間で大帝国を築いたのだ。ところが、再びペラへ戻ることなく、32歳の若さでバビロニアにて熱病により亡くなったと言われている。
「ブロンズのヘルメットと黄金のマスク」。これは死者の顔に被せたものだそうだ。
博物館の展示には、まだまだ写真に残すべき展示品が沢山あったはず、ところが、これしか撮ってない。
この旅も半ばを過ぎ疲れが出てきた頃で、写真を撮る気力も無くなったようだ(笑)
次の観光地「ヴェルギナ古代遺跡」へ。ここは世界遺産にも登録されている。
ところが、写真が一枚もない! いよいよ疲れがピークに達したのか? 考えられる理由は、古墳内部の地下博物館が撮影禁止になっていたからだ。(現在は写真撮影OKになったという情報もある。)
古墳への入口↓
(写真:Wikipediaより)
ヴェルギナは、古代マケドニア王国の最初の都があったところ。古代は「アイガイ」と呼ばれていた。数多くの墳墓群だけでなく宮殿跡も発見されている。
とりわけ注目を集めたのは、1977年にピリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)の墓が未盗掘で発見されたことだ。世界的なセンセーションを巻き起こしたそうだ。
数々の貴重な出土品の中でも特に目立つのは、ピリッポス2世の「黄金の納骨箱」↓。
その箱の上に描かれている模様は「ヴェルギナの太陽」と言われ、古代マケドニアの象徴とされるようになった。
(写真:Wikipediaより)
現「北マケドニア共和国」が1991年に旧ユーゴスラビア連邦から独立した時、マケドニア共和国の国旗にこのヴェルギナの太陽の模様を使った。この時にギリシャの猛反発を受け、マケドニア共和国が現在の国旗に変えたという経緯もあった。
オリンポス山系の遠景↓
ヴェルギナから次の観光地へ移動中、バスの中から撮った写真。窓側にいた人に頼んで撮って頂いた。オリンポス山は、神々が住む山と言われるギリシャ最高峰の山。
この後、「メテオラ」、「デルフィ」、「オシオス・ルカス修道院」、「アテネ」と観光しました。一応、アレキサンダー大王にまつわる国や地域などの観光を終えたので、このマケドニア・ギリシャのブログは終わります。
(終)